― しかし、義を貫く心は皆同じ ―
公孫丑は前項の話に続けて、なおも疑問を抱き、孟子に尋ねる。
「伯夷(はくい)や伊尹(いいん)と孔子は、同列に並ぶ存在なのですか?」
孟子は、きっぱりと否定した。
「いいえ。人類がこの世に誕生して以来、孔子ほどの人物は、未だかつて現れていない」。
それでも公孫丑は続けて問う。
「では、三者の間に共通点はあるのですか?」
孟子は答える。
「ある。百里四方の領地を持ち、君として治める立場に立ったならば、三人ともきっと諸侯を従え、天下をよくまとめることができるだろう。
しかし、それ以上に重要なのは次の点だ。
たとえ天下を得るためであっても、“一つの不義”を行ったり、“一人の罪なき者”を殺すようなことは、三人とも絶対にしない。
この一点において、彼らは同じである」。
孟子の語る“同じ”とは、単なる能力や業績ではない。
それは**「義に生き、道に反しない」**という、人間としての根本的な線引きと覚悟を意味している。
しかしそのうえで、孟子は孔子だけが道徳と知の両面において完成された存在であることを明確に認めている。
原文(ふりがな付き引用)
「伯夷(はくい)・伊尹(いいん)の孔子(こうし)に於(お)ける、是(こ)れの若(ごと)く班(はん)しきか。
曰(いわ)く、否(いな)。生民(せいみん)有(あ)りて以来、未(いま)だ孔子有(あ)らざるなり。
曰く、然(しか)らば則(すなわ)ち同(おな)じき有るか。
曰く、有(あ)り。百里(ひゃくり)の地(ち)を得(え)て之(これ)に君(きみ)たらば、皆(みな)能(よ)く以(もっ)て諸侯(しょこう)を朝(ちょう)せしめ、天下(てんか)を有(たも)たん。
一(いち)の不義(ふぎ)を行(おこな)い、一(ひとり)の不辜(ふこ)を殺(ころ)し、而(し)て天下を得(え)んは、皆(みな)為(な)さざるなり。是(こ)れ則(すなわ)ち同じ。」
注釈(簡潔版)
- 班しき:同列、同じレベルで並ぶこと。
- 生民(せいみん):人類のこと。人が生まれて以来、という表現。
- 不義(ふぎ):道理に反する行い。
- 不辜(ふこ):罪のない者、無実の人。
パーマリンク(英語スラッグ案)
none-like-confucius
(孔子のような人は他にいない)never-unjust-for-power
(権力のために不義をなさず)same-in-morality-different-in-greatness
(道義は同じ、偉大さは異なる)
この章は、孟子の孔子観が最も端的に語られる場面の一つです。
**誰よりも偉大でありながらも、義を守るという基本の精神においては、他の聖人たちとも一致している――**そのバランス感覚が、孟子の知の奥深さを物語っています。
1. 原文
伯夷・伊尹於孔子、若是班乎。
曰、否。自生民以來、未有孔子也。
曰、然則有同與。
曰、有。得百里之地而君之、皆能以朝諸侯、有天下。
行一不義、殺一不辜、而得天下、皆不為也。是則同。
2. 書き下し文
伯夷・伊尹(はくい・いいん)は、孔子と比べて一段下であるのか。
孟子は言った。「否。人がこの世に生まれて以来、未だかつて孔子のような人物はいない。」
「では、三者に共通する点はありますか?」
「ある。百里の土地を与えられ主君となれば、皆、諸侯を統率し、天下を有することもできる。
しかし、一つの不義を行い、一人の罪なき者を殺して天下を得るとしても、彼らは誰一人それを行わない。
この点においては、三人は同じである。」
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「伯夷や伊尹は、孔子より下の存在なのですか?」
- 「いや、そうではない。人類が始まって以来、孔子のような人物は他に存在しなかった。」
- 「では、彼ら三人に共通する部分はありますか?」
- 「ある。仮に百里の領地を得て君主となった場合、誰もが諸侯を従え、天下を治める力を持つ。
- しかし、正義に反することを一つでも行って天下を得たり、罪なき人を一人でも殺して天下を得るようなことは、三者ともに絶対にしない。
- この点においては、三人は同じである。」
4. 用語解説
- 伯夷(はくい):殷の末に周への革命を潔しとせず、隠遁して節操を守った人物。
- 伊尹(いいん):殷の名宰相。賢明にして現実的。政治に深く関与。
- 孔子(こうし):儒教の祖。徳をもって政治を説いた中庸の聖人。
- 班する(はんする):位や階級で比較して劣っているかどうかを問う語。
- 生民(せいみん):人類、あるいは初めて人が生まれた時からの意。
- 百里の地:小規模ながら独立国を形成できる範囲の領土。
- 不義(ふぎ):道義に反すること。
- 不辜(ふこ):罪なき人を指す。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子は弟子から「伯夷や伊尹は孔子に劣るのですか」と問われ、「そうではない」と答える。そして、「そもそも孔子のような存在は、生まれて以来いまだかつていない」と強く評価する。
ただし、三者には共通する重要な一点があるという。それは、仮に天下を取れる機会があったとしても、不正を行ったり、罪のない人を殺してまで天下を得ようとは絶対にしないという、徳に基づく姿勢である。
この「義を貫く姿勢」こそが、三者に共通する「聖人の条件」であり、最大の尊さである。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「リーダーとしての真の資格とは何か」**を問いかけています。
- 能力よりも道徳
天下を取る能力があることよりも、それを“正義に基づいて行う”ことが大切であるという孟子の倫理観が表れている。 - 結果よりも方法
一時的に成功しても、不義によって得たものであれば意味がない。結果だけでなく、“どう得るか”が聖人と小人の違いを分ける。 - 絶対に譲らぬ「義」
義を重んじ、決して妥協しない姿勢は、真のリーダー、人格者にとって最も重要な資質。
7. ビジネスにおける解釈と適用
「“勝てばよい”を拒否するリーダーこそ信頼される」
成果のために倫理を曲げる経営、短期利益のために不正を容認する組織──こうした行為を“しない”と断言できるリーダーこそが、長期的信頼と組織の持続的成長を築く。
「不義を拒否する判断軸を持つ経営者・幹部の育成」
この章句は、「どんな場面でも不正には加担しない」という強固な倫理観が組織を支えることを教える。選抜・登用・評価の基準としても「義を貫く姿勢」が重要。
「共通の徳が“組織文化”を創る」
伯夷・伊尹・孔子のように、やり方や性格は異なっていても、“義に基づく行動をする”という共通の行動原理が、強い組織文化を築く鍵となる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「義に悖れば、天下も取らず──徳ある者こそ真のリーダー」
この章句は、あらゆる時代に通用するリーダー論の本質を突いています。リーダーが「義を貫くかどうか」によって、その人物の価値と組織の未来が決まる──孟子の思想の核が詰まった、非常に重要な一節です。
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