「恐れず屈せず──“二つの勇”を養う」
― 勇気とは「勝つ」ことより「恐れない」こと ―
前項で孟子が「四十にして心を動かさず」と語ったのを受け、公孫丑はさらに問いを深めた。
「そのような“心を動かさない”ための修行法はあるのですか?」
孟子は、二人の古の勇士を例に出して答える。
まず一人目は、北宮黝(ほくきゅうゆう)。
彼の養った「勇」は徹底していた。
白刃が喉元に迫っても肌を震わせず、剣先が目に突きつけられてもまばたきすらしない。
毛筋ほどの侮辱にも烈火のごとく怒り、たとえそれが下賤な者からであろうと、あるいは万乗の大国の君からであろうと、絶対に受け入れなかった。
逆に言えば、誰からであっても対等に見なし、恐れを持たなかった。
万乗の君を刺すことも、褐夫(どてらをまとう庶民)を刺すことと同じだった――だから、彼は天下の諸侯に対しても一切“恐れ”というものを持たなかったのだ。
侮辱されれば必ず報復したという。
次に孟子は、**孟施舎(もうししゃ)**の「勇」について語る。
孟施舎はこう言ったという――
「たとえ勝てない相手だとわかっていても、自分の信念が正しければ、まるで勝てる相手かのように立ち向かう。
敵の戦力を測ってから出撃したり、勝てそうだと判断してから会戦するのは、恐れている者のすることだ。
私とて必ず勝てるとは限らないが、恐れず戦う。それで十分なのだ」と。
孟子はこの2人を挙げつつ、真の「不動心」とは結果を超えた「恐れない姿勢」にあると説く。
冷徹に見える北宮黝、無私の決意に満ちた孟施舎――どちらも、「心を動かさない修養」が“日々の選択”によって成り立つことを示している。
原文(ふりがな付き引用)
「曰(いわ)く、心(こころ)を動(うご)かさざるに道(みち)有(あ)りや。
曰(いわ)く、有(あ)り。
北宮黝(ほくきゅうゆう)の勇(ゆう)を養(やしな)うや、膚(はだ)撓(たわ)まず、目(め)逃(に)がさず。
一毫(いちごう)を以(もっ)て人(ひと)に挫(くじ)しめらるるを思(おも)うこと、之(これ)を市朝(しちょう)に撻(むち)たるるが若(ごと)し。
褐實博(かつじつはく)にも受(う)けず、亦(また)万乗(ばんじょう)の君(きみ)にも受けず。
万乗の君を刺(さ)すを視(み)ること、褐夫(かっぷ)を刺すが若し。
厳(おそ)るる諸侯(しょこう)無(な)し。悪声(あくせい)至(いた)れば、必(かなら)ず之を反(かえ)す。孟施舎(もうししゃ)の勇(ゆう)を養(やしな)う所(ところ)や、曰(いわ)く、
勝(か)たざるを視(み)ること、猶(なお)勝(か)つがごとし。
敵(てき)を量(はか)りて而(し)て後(のち)進(すす)み、勝(か)つことを慮(おもんばか)って而して後(のち)会(かい)するは、是(こ)れ三軍(さんぐん)を畏(おそ)るる者なり。
舎(しゃ)豈(あ)に能(よ)く必勝(ひっしょう)を為(な)さんや。能(よ)く懼(おそ)るる無(な)きのみ。」
注釈(簡潔版)
- 北宮黝(ほくきゅうゆう):斉の古の勇士。極度に神経を制御し、平常心を貫いた人物。
- 褐實博(かつじつはく):粗末な服をまとう下賤の者のたとえ。
- 市朝(しちょう):人が集まる市場や朝廷。恥をかく場としての象徴。
- 三軍(さんぐん):大国の正規軍。約三万七千五百人規模を指す。
- 孟施舎(もうししゃ):勇気を“恐れない心”と捉えたもう一人の模範的勇者。
原文
曰、不動心有乎。
曰、有。北宮黝之養勇也、不膚撓、不目逃。
思以一毫挫於人、若撻之於市朝。
不受於褐寬博、亦不受於萬乘之君。
視刺萬乘之君、若刺褐夫。無嚴諸侯、惡聲至、必反之。
孟施舍之養勇也、曰、視不勝、猶勝也。
量敵而後進、慮勝而後會。是畏三軍者也。
舍豈能爲必勝哉、能無懼而已矣。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「心を動かさないためには、方法があるのですか?」
- 「ある。北宮黝という人物が勇を鍛える方法は、皮膚がたとえ打たれてもたわまず、視線を逸らさない。」
- 「わずかでも人に屈することは、市場で鞭打たれることと同じように感じるほど嫌った。」
- 「粗衣を着た人にも、また万乗の王にも屈しない。」
- 「王を刺すときも、平民を刺すように恐れない。」
- 「諸侯を恐れず、悪い噂が来たら必ず反撃した。」
- 「一方、孟施舎は別の方法で勇を養った。負ける可能性があっても、あたかも勝てるかのように振る舞った。」
- 「敵の強さを計ってから進み、勝てる見込みがあってから戦う。これは“三軍を畏れる者”だ。」
- 「孟施舎が必ず勝てたわけではない。ただ“恐れない”ことができただけだ。」
用語解説
- 北宮黝(ほくきゅうゆう):古代中国の剛直な勇士。極めて強い意志を持ち、権力者にも屈しなかった。
- 膚撓まず:打たれても皮膚がたわまない=屈しない強さ。
- 市朝に撻たるる:市場や朝廷で鞭打たれるような、極端な屈辱。
- 褐夫:粗末な衣を着た庶民。地位のない人。
- 万乗の君:強大な王。軍事力が強大な君主。
- 悪声:世間の悪評、噂。
- 孟施舎(もうししゃ):勇士であるが、戦略的な判断を尊重する現実主義者。
- 三軍:大軍。ここでは国家的規模の軍隊。
全体の現代語訳(まとめ)
「心を動かさない方法はあるのですか?」という問いに対して孟子は答える。「ある」と。
北宮黝という人物は、どんな相手に対しても決して屈せず、視線すら逸らさなかった。少しでも侮辱されることを、あたかも公衆の面前で鞭打たれるほどの屈辱と感じた。相手が庶民でも王でも、同じように恐れず、噂されても必ず反論した。
一方、孟施舎という人物は、負けるかもしれない相手でも、まるで勝つかのように動じず、冷静に戦うべきかどうかを見極めてから動いた。これは、必ず勝つためではなく、「恐れない」ことができたからである。
この章は、「不動の心」とは天性のものではなく、日々の実践によって形作られるものであることを、リアルな人物の振る舞いを通して示しています。
恐れない心=自信や傲慢ではなく、状況に関係なく義を貫く胆力こそが、その本質であると孟子は語ります。
解釈と現代的意義
この章句では、「不動心」とは単なる頑固さでも、無謀な勇気でもない、訓練された勇の形であることが語られています。
- 北宮黝型の“不屈”の精神:権威や暴力に屈せず、信念に従って行動する勇。これは倫理的な勇気とも言える。
- 孟施舎型の“冷静な勇”:状況を冷静に分析し、勝算を見てから行動に移す戦略的な勇。行動の前に思慮がある。
- “無懼”とは恐れをなくす訓練である:孟施舎の「恐れないだけでも偉大だ」とする認識は、真の勇が感情ではなく習慣であることを示している。
ビジネスにおける解釈と適用
「北宮黝型:信念に揺るがぬリーダー」
社内外の圧力、権力、風評にも屈せず、原理原則に従って判断を貫くリーダー像。逆境にあっても言うべきことを言う。このような姿勢は、組織に安心と一貫性をもたらす。
「孟施舎型:冷静な状況判断による勇断」
どんなに不利でも、分析と予測に基づいて戦いに臨む慎重かつ確信ある態度。無謀な挑戦ではなく、勝てる戦いを選び、なおかつ恐れないことで、成果を最大化するスタイル。
「不動心は“学びと訓練”によって得られる」
どちらの型も、勇気とは生まれつきではなく、養い・鍛えるものだという視点が重要。企業のリーダー教育にも通じる視点。
まとめ
この章句は、「勇気とは何か」「心を動かさないとはどういうことか」という核心的な問いに、二つの異なるモデルで答えています。どちらもリーダーシップにおいて極めて示唆に富む内容です。
コメント