― 恩師を思う心が、王の誤解を解く力になる
前項では、魯の平公が側近の臧倉の言葉をうのみにして、孟子に会うのを取りやめてしまった場面が描かれました。
この章では、それを見た孟子の高弟・**楽正子(がくせいし)**が、毅然として諫言に立ち上がります。
楽正子は平公に謁見し、率直に問いかけます。
「君はなぜ、孟軻(孟子)にお会いにならなかったのですか」
平公は答えます。
「ある人から、『孟子は後の母の葬儀を、前の父の葬儀よりも立派にした』と聞いたので、会うのをやめたのだ」
すると楽正子は問い返します。
「君が言う『立派すぎた』とは、どういう点を指していますか?
前喪では士の礼により三鼎(かなえ)を用い、後喪では大夫の礼で五鼎を用いたということでしょうか」
平公は、「いや、私が言っているのは、内棺・外棺や、死装束が母の方が立派だったということだ」と答えます。
そこで楽正子は丁寧に説明します。
「それならば、それは『礼を越えた』とは言えません。
前喪のとき孟子は士の身分で、後喪のときは大夫の身分でした。
また、その頃の貧富の差もあったのです。
つまり、それぞれの状況でできる限りの誠を尽くしたにすぎません。
礼儀とは形式だけでなく、誠意と身分に応じたふるまいを尊重するものです」
この一連の対話に見られるのは、楽正子の「冷静で筋の通った諫言の力」です。
彼は、恩師を一方的な誤解で拒んだ君主に対して、感情的にならず、理と礼で諭す姿勢を貫いています。
引用(ふりがな付き)
「楽正子(がくせいし)入りて見(まみ)えて曰(い)わく、君(きみ)奚為(なんす)れぞ孟軻(もうか)を見(み)ざるや。
曰(い)く、或(ある)ひと寡人(かじん)に告(つ)げて曰(い)わく、孟子(もうし)の後喪(こうそう)は前喪(ぜんそう)に踰(こ)えたり。是(こ)れを以(もっ)て往(ゆ)きて見(み)ざるなり。曰(い)く、何(なに)ぞや。君(きみ)の所謂(いわゆ)踰(こ)ゆとは。
前(まえ)は士(し)を以(もっ)てし、後(のち)は大夫(たいふ)を以てす。
三鼎(さんてい)を用(もち)い、後には五鼎(ごてい)を用いたるがゆえか。曰(い)く、否(いな)。棺椁(かんかく)・衣衾(いきん)の美(うるわ)しきを謂(い)うなり。
曰(い)く、所謂(いわゆ)踰(こ)ゆるには非(あら)ざるなり。貧富(ひんぷ)同(おな)じからざればなり」
注釈
- 楽正子(がくせいし)…名は克。孟子の高弟であり、当時は魯の執政者。恩師を思う誠実な人柄が本章で際立つ。
- 三鼎・五鼎…かなえ(三足の器)の数で礼制上の身分の違いを示す。士は三鼎、大夫は五鼎。
- 棺椁(かんかく)…内棺と外棺。礼儀の一環として、死者を包む器。
- 衣衾(いきん)…死者を覆う着物やふとん。
- 貧富不同(ひんぷおなじからず)…財力に応じて、できることが異なるのは当然であり、礼を超えたことにはならないという指摘。
パーマリンク案(英語スラッグ)
- speak-truth-with-grace(真実を丁寧に語れ)
- correct-with-reason(理で誤解を正せ)
- honor-through-understanding(理解によって敬意を示せ)
この章は、リーダーを諫める者の胆力と賢さを描いたものであり、組織における真の補佐役の姿を示しています。
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