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軽々しく周囲に流される者に、リーダーの器はない

― 決断すべき時に他人の口を伺うなかれ

魯(ろ)の平公が、馬車の用意を整えて出かけようとしていた。
それを見た取り巻きの臧倉(ぞうそう)が問うた。

「君がお出かけの際は、いつも有司(役人)に行き先を命じられていたのに、今日はその命が下されていない。どこへ行かれるのか、お聞かせください」

平公は、「今から孟子に会いに行こうと思う」と答える。
すると臧倉は、慌てたように諫めた。

「何ということでしょう。君ともあろう身が、身分も低く、つまらない男にすぎない孟子に会おうとするとは。
彼が賢者だからと思われたのでしょうが、孟子は礼に欠けています。
彼は父の葬儀よりも母の葬儀を立派に執り行いました。
これは礼に反しており、そんな者を賢者とは呼べません。お会いになるのはおやめなさい」

これを聞いた平公は、「わかった、そうしよう」と簡単に引き下がってしまった。

孟子が生涯をかけて説いた「仁」「礼」「義」を理解することなく、
ただの噂や見た目の整合性で判断する側近の言葉に振り回される王の姿が、ここにはある。

そして、自分で会って確かめるという主権者としての姿勢を持たないことこそ、平公の器の小ささであり、
それが「平凡の“平”」という諡(おくりな)にふさわしいことを、孟子は黙して語っている。


引用(ふりがな付き)

「魯(ろ)の平公(へいこう)将(まさ)に出(い)でんとす。
嬖人(へいじん)臧倉(ぞうそう)なる者(もの)請(こ)うて曰(い)く、
他日(たじつ)君(きみ)出(い)ずれば、則(すなわ)ち必(かなら)ず有司(ゆうし)に之(ゆ)く所(ところ)を命(めい)ぜり。
今(いま)乗輿(じょうよ)已(すで)に駕(が)せり。有司未(いま)だ之(これ)に之(ゆ)く所(ところ)を知らず。敢(あ)えて請(こ)う。

公(こう)曰(い)く、将(まさ)に孟子(もうし)を見(み)んとす。
曰(い)く、何(なん)ぞや。君の身(み)を軽(かろ)んじて以(もっ)て匹夫(ひっぷ)に先(さき)立(だ)つ所(ところ)を為(な)す者(もの)は、以(もっ)て賢(けん)と為(な)すか。
礼義(れいぎ)は賢者(けんじゃ)より出(い)づ。而(しか)るに孟子の後喪(こうそう)は前喪(ぜんそう)に踰(こ)えたり。
君、見ること無(な)かれ。
公曰(い)く、諾(だく)」


注釈

  • 平公(へいこう)…魯の王。孟子の遊説終盤に立ち寄った君主。
  • 嬖人(へいじん)…取り巻き・側近。ときに君主を操る者も。
  • 匹夫(ひっぷ)…身分の低い、つまらない男。蔑称。
  • 後喪(こうそう)…母の葬儀。父の喪より立派にしたと臧倉は批判するが、これは孟子の孝を知らぬ浅はかな理解である。

パーマリンク案(英語スラッグ)

  • do-not-be-a-puppet(操られるな)
  • a-leader-decides(決断するのがリーダー)
  • judge-not-by-hearsay(噂で判断するな)

この章は、リーダーが誰の声を聴くべきか、そしてどこまで自分の判断を持てるかという統治の本質を問うています。

1. 原文

魯平公將出、嬖人臧倉者請曰、
他日君出、則必命有司之、今乘輿已駕矣、有司未知所之、敢請。
公曰、將見孟子。
曰、何哉。君爲輕身以先於匹夫者、以爲賢乎。
禮義由賢者出、而孟子之後喪踰前喪、君無見焉。
公曰、諾。


2. 書き下し文

魯の平公、将に出でんとす。嬖人(へいじん)臧倉(ぞうそう)なる者、請うて曰く、
「他日、君出づるときは、必ず有司に行先を命ぜられます。
今、乗輿はすでに駕せられましたが、有司は未だ行先を知らず。敢えてお伺いします。」

公曰く、「将に孟子を見んとす。」

臧倉曰く、
「何故ですか。君が自らの身を軽んじて、匹夫に先立って訪ねられるのは、彼を賢者と見なしているからですか。
礼義は賢者から出るものです。しかるに孟子は、父母の喪の礼において、後喪が前喪を超えました。
これは礼に反することです。君、会われぬほうがよいでしょう。」

公曰く、「諾(うん)」。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)

  • 魯の平公が外出しようとしたとき、側近の臧倉が言った。
    「いつもならお出かけの際、有司(役人)に行き先を命じられるはずですが、
    今日はもう車が準備されているのに、行き先が役人に伝えられていません。お伺いします。」
  • 公は「孟子のところへ行くのだ」と答えた。
  • 臧倉は反論して言った。
    「どうしてそのようなことを? 一国の君主であるあなたが、身分の低い孟子に会いに行くのは、
    彼を特別に賢者と見なしておられるからでしょう。

だが、礼と義は本来、賢者から出るもの。
その孟子は、父母の喪において“後喪が前喪を越えた”という礼に反する行為をしました。
ですから、お会いにならぬ方がよろしいでしょう。」

  • 平公は「うむ(やめよう)」と返事した。

4. 用語解説

用語解説
嬖人(へいじん)君主に特に寵愛されている近侍。
乗輿(じょうよ)君主の乗る車。
駕(が)す車に馬をつなぎ出発の準備をすること。
匹夫(ひっぷ)一介の民、庶民、名もなき人。蔑称的にも使われる。
後喪踰前喪通常、父母の喪には順序と期間がある。後に亡くなった者の喪(後喪)が、先に亡くなった者の喪(前喪)よりも手厚いのは礼に反するとされる。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

魯の平公が孟子に会いに行こうとしたとき、近くにいた寵臣が止めた。
理由は「君主が自ら会いに行くなど礼に反する」「孟子の喪の礼に不備があるため、賢者ではない」というものだった。

これを聞いた平公は、会見をやめると答えた。


6. 解釈と現代的意義

✅ 「人物評価には“行為の全体性”が問われる」

臧倉は「喪礼一つ」で孟子を否定した。しかし孟子の思想や政策論には広く称賛があり、
一点を理由にすべてを否定する姿勢は「評価の視野狭窄」であり、
今日でも「一部のスキャンダルで全人格を否定する」態度と通じるものがある。

✅ 「上下関係における礼と実質」

君主が賢者に会いに行くという行為は、礼の形式上は軽率に見えるかもしれない
だが、賢者に教えを乞うという本質的価値を優先すべきではないか──という問いが間接的に提示されている。

✅ 「情報による印象操作の危うさ」

臧倉は、孟子に対する会見を阻止する目的で、事実(喪礼の逸脱)を強調した。
これは、情報操作・印象操作の古典的な例とも取れる。


7. ビジネスにおける解釈と適用

💡 1. 礼儀と実力主義のバランス

経営者が社員や外部の専門家に頭を下げて学ぶ姿勢は、
形式上「下から行く」ように見えても、組織全体にとっては「学ぶ文化」の象徴になる。
臧倉のような「形式主義者」は、学習・成長を妨げるリスクがある。

💡 2. 風評・スキャンダルによる評価のゆがみ

人事判断やパートナーシップにおいて、過去の瑕疵一点だけで人物を退けるのは危うい。
**「全体像・本質を観る力」**が、経営判断や組織文化の中核に求められる。

💡 3. 「提言者の動機」も読むべし

臧倉のように、君主の判断に影響を与えようとする者が持つ**「動機」や「利害」**を見抜けるか。
これは経営における「助言者のバイアスを読む力」にも通じる。


8. ビジネス用の心得タイトル

「形式に惑わされるな──“一事”ではなく“人全体”を見よ」

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