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正しい道は、都合で捨てるものではない

― 王命といえど、信念を曲げることはできない

孟子は斉の宣王に、大工の例えを用いて、学びと信念の尊さを説いた。

王が立派な宮殿を建てたいと考えたとき、まず命じるのは大工の棟梁に「大木を求めよ」ということである。
棟梁が見事に大木を見つけてくれば、王はその者の功を喜び、「任を果たした者」と称えるだろう。
だがもし、その大木を普通の大工が削って小さな材にしてしまったらどうだろう。
王は怒り、その者を「任を果たさなかった者」と責めるはずである。

このたとえは、人が幼いころから学び、長い時間をかけて培った道徳や原理(大木)を、
ある時ふと、権力者の都合や命令によって捨てさせようとする理不尽さに重ねられている。

孟子は問う――
「もし、長く学んできた者が、それを実行に移そうとしたとき、王が『その学びは一旦忘れて、私の言うことに従え』と命じたならば、それはどれほど無責任なことか。あなたは自ら、怒るべき状況をつくっているのではないか」と。

この教えは、個人の信念や道徳を一時の利害で曲げるべきではないという厳しい戒めであり、
と同時に、為政者こそがその信念の歩みを妨げてはならないという、リーダーの責務を語っている。


引用(ふりがな付き)

「孟子(もうし)、斉(せい)の宣王(せんおう)に見(まみ)えて曰(い)わく、
巨室(きょしつ)を為(つく)らば、則(すなわ)ち必(かなら)ず工師(こうし)をして大木(たいぼく)を求(もと)めしめん。
工師(こうし)大木を得(え)ば、則(すなわ)ち王(おう)喜(よろこ)びて、以(もっ)て能(よ)く其(そ)の任(にん)に勝(た)うと為(な)さん。
匠人(しょうじん)斲(き)りて之(これ)を小(ちい)さくせば、則(すなわ)ち王(おう)怒(いか)りて、以(もっ)て其(そ)の任(にん)に勝(た)えずと為(な)さん。
夫(そ)れ人(ひと)幼(よう)にして之(これ)を学(まな)び、壮(そう)にして之(これ)を行(おこな)わんと欲(ほっ)す。
王(おう)曰(い)わく、姑(しばら)く女(なんじ)の学(まな)ぶ所(ところ)を舎(す)てて、而(しか)して我(われ)に従(したが)え。則(すなわ)ち何如(いかん)」


注釈

  • 工師(こうし)…大工の棟梁。責任ある職人の象徴。
  • 匠人(しょうじん)…普通の職人。熟練度の低い者や形式的な者の例え。
  • 姑く(しばらく)…しばらくの間、一時的に。
  • 舎いて(すてて)…やめてしまう、捨て置く。ここでは「学んできたことを一旦放棄せよ」という命令の意味。
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