斉の宣王は、先の「財を好む」発言に続いて、もうひとつの“欠点”を打ち明ける。
「私にはもう一つ悪い癖がある。それは“色を好む”ことだ」
孟子はすぐにそれを否定せず、こう返す。
「昔、周の祖である大王(古公亶父)もまた色を好み、妃を深く愛した」
そして、孟子は『詩経』を引いて、大王の妃・姜氏との暮らしを描く。
「古公亶父は朝から馬を走らせ、西水の水際をたどり、岐山のふもとに至った。
そこで姜女(姜氏)と出会い、共に居を構えて暮らされた」
この愛は私的なものに留まらず、社会全体に好影響をもたらしたという。
「このとき、国内には夫を得られずに怨む女性もおらず、
妻を得られず嘆く男性もいなかった」
すなわち、大王が妃を誠実に愛し、その姿勢が民に反映された結果、
家庭が安定し、社会が健全に保たれたのである。
孟子は宣王に対してこう結ぶ:
「王よ、たとえ“色を好む”としても、それを民とともに、礼をもって共有するのであれば、
王者となることになんの障害もありません」
ふりがな付き原文と現代語訳
「王(おう)曰(い)わく、寡人(かじん)疾(やまい)有(あ)り、寡人、色(いろ)を好(この)む。
対(こた)えて曰(い)わく、昔者(むかし)、大王(たいおう)色(いろ)を好(この)み、厥(その)の妃(きさき)を愛(あい)せり。
詩(し)に云(い)う、
古公亶父(ここうたんぽ)、来(きた)りて走馬(そうば)し、
西水(せいすい)の滸(ほとり)に沿(そ)い、岐下(きか)に至(いた)る。
爰(ここ)に姜女(きょうじょ)と聿(すなわ)ち来(き)たりて、胥(とも)に宇(くら)す、と。
是(こ)の時(とき)に当(あ)たりて、内(うち)に怨女(えんじょ)無(な)く、外(そと)に曠夫(こうふ)無(な)かりき。
王如(も)し色(いろ)を好(この)むも、百姓(ひゃくせい)と之(これ)を同(おな)じうすれば、
王(おう)たるに於(お)いて何(なに)か有(あ)らん」
現代語訳:
王は言った。「私にはもう一つ悪い癖がある。それは、女性(色)を好むことだ」
孟子は答えた。「昔、周の始祖である大王も色を好み、妃を深く愛されました」
『詩経』にこうあります:
「古公亶父は朝から馬を走らせ、西水の水際を進み、岐山のふもとに至った。
そこで姜女とともに住まいを定め、共に暮らされた」
その結果、国内には夫を得られず嘆く女もおらず、妻を得られず嘆く男もいなかった。
「王よ。たとえ色を好まれるとしても、それを民と共にすることで、
王者として何の問題もないのです」
注釈
- 色を好む…異性への関心が強いこと。孟子はこれを人間の自然な性(さが)と認めつつ、礼をもって行うことが大切であると説いている。
- 大王(古公亶父)…周の文王の祖父。仁徳と礼節を重んじた理想的な君主として伝えられる。
- 西水の滸・岐下…大王が妃と暮らす地に至るまでの象徴的旅路。現代地名の「岐阜」の由来とされる説もある。
- 胥宇る…ともに住まう、家庭を築くという意味。
- 怨女・曠夫…配偶者を得られず嘆く者。ここでは、婚姻と家庭の安定が社会秩序の一環であることを示す。
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(王として愛するとは)
この章は、孟子が人間の本性(性欲や愛情)を否定するのではなく、
それを“民とともに”礼節をもって実践することによって、王道に昇華できるとする柔軟な倫理観を示したものです。
財も、色も、私欲にとどめるか、共益に高めるか。
孟子の教えは、単なる禁欲ではなく、**「共にあるべき者としての徳の選択」**にこそ核心があります。
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