孟子は、自らの経験を引き合いに出して語る。
「私が最初に斉の国境に着いたとき、まず確認したのはこの国における最も重い禁令でした。
なぜなら、どんな掟があるかも知らずに国に入るのは無謀だからです」
そして聞いたのは衝撃的な事実だった。
「斉の国では、郊外の関所から内側にある四十里四方の狩り場において、大鹿や小鹿を殺した者は、人を殺したのと同じ重罪に処されるというのです」
孟子はこう断ずる。
「これではまるで、国の中心に四十里四方の大きな“落とし穴”を作っているようなものではありませんか。
民が“狩り場が大きすぎる”と訴えるのは、道理にかなっているのです」
為政者が自らの楽しみのために、民に不条理な恐怖と制限を課しているならば、民の不満は単なる戯言ではなく、正当な評価なのだ。
民の声は誤らない。それを軽視する者に、政治を行う資格はない。
ふりがな付き原文と現代語訳
「臣(しん)、始(はじ)めて境(さかい)に至(いた)り、国(くに)の大禁(たいきん)を問(と)い、然(しか)る後(のち)敢(あ)えて入(い)れり。臣(しん)、聞(き)く、郊関(こうかん)の内(うち)、囿(ゆう)有(あ)る方(ほう)四十里(しじゅうり)。其(そ)の麋鹿(びろく)を殺(ころ)す者(もの)は、人(ひと)を殺(ころ)すの罪(つみ)の如(ごと)し、と。
則(すなわ)ち是(これ)れ方四十里、阱(おとしあな)を国中(こくちゅう)に為(な)すなり。民(たみ)以(もっ)て大(おお)なりと為(な)すも、亦(また)宜(ぎ)ならずや」
現代語訳:
私は最初に斉の国の境に来たとき、この国の最も重大な禁令は何かを確かめてからでなければ入国しないと決めていました。
そして聞いたのはこうでした。「この国には、郊外の関所内に四十里四方の狩り場がある。そこで鹿を殺した者は、人を殺したのと同じ罪に問われる」と。
これではまるで、国の真ん中に大きな“落とし穴”をつくって民を苦しめているようなものではありませんか。
民が「狩り場が大きすぎる」と感じるのも、もっともなことです。
注釈
- 郊関(こうかん)…国の郊外に設けられた関所。国境のような意味合い。
- 囿(ゆう)…王の私的な狩り場。占有空間。
- 麋鹿(びろく)…大型および小型の鹿。高級な狩猟対象とされた。
- 阱(おとしあな)…罠・落とし穴。ここでは象徴的に「民を苦しめる制度」の意味を持つ。
- 臣…孟子が自分をへりくだって呼ぶ語。「私」の意。
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(国家の中心にある落とし穴)justified-anger-of-the-people
(民の怒りは正当だ)laws-for-the-few-hurt-the-many
(一部のための法が民を傷つける)
この節では、民の「実感的な評価」が為政者の実際の統治の質を鋭く映し出していることが示されています。
法が民のためにあるのでなければ、その法は暴政である――孟子はここでも、仁政の根本を厳しく問い直しています。
1. 原文
臣始至於境、問國之大禁、然後敢入、
臣聞、郊關之內、囿方四十里、
殺其麋鹿者、如殺人之罪、
則是方四十里、爲阱於國中、
民以爲大、不亦宜乎。
2. 書き下し文
臣(しん)、始(はじ)めて境(さかい)に至(いた)り、
国(くに)の大禁(たいきん)を問い、然(しか)る後(のち)敢(あ)えて入(い)れり。
臣、聞(き)く、郊関(こうかん)の内(うち)、囿(ゆう)あり、方(ほう)四十里(しじゅうり)。
其(そ)の麋鹿(びろく)を殺(ころ)す者は、人(ひと)を殺すの罪(つみ)の如(ごと)し。
則(すなわ)ち是(こ)れ方四十里、阱(じょう)を国中(こくちゅう)に為(な)すなり。
民(たみ)以(もっ)て大(だい)なりと為(な)すも、亦(また)宜(むべ)ならずや。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 臣始めて境に至り、国の大禁を問い、然る後に入れり。
→ 私(孟子)は初めて斉の国境に来たとき、まずその国の最大の禁令(法律)を尋ね、それからようやく中へ入りました。 - 臣聞く、郊関の内に囿あり、方四十里。
→ 私が聞いたところによれば、都の郊外の関所の中には、広さ四十里(およそ15〜25km)にも及ぶ苑があると。 - その麋鹿を殺す者は、人を殺すのと同じ罪に問われる。
→ その苑の中で鹿を殺せば、人を殺したのと同じほどの重罪だと聞きました。 - それなら、四十里の苑は、まるで国の中に設けられた落とし穴のようなものです。
→ そんな不条理な苑があるなら、それは民にとって“罠”に等しいのではないですか。 - 民がそれを“大きすぎる”と非難するのも、当然ではありませんか。
4. 用語解説
- 臣(しん):孟子自身を謙遜して言う語。君主への丁寧な自己表現。
- 郊関(こうかん):都の外にある関所。都市の管理圏の入り口。
- 囿(ゆう):王や貴族の私的な苑・狩猟場。一般民衆は原則立ち入り禁止。
- 麋鹿(びろく):大型の鹿。王族の狩猟対象。
- 如殺人之罪(ひとをころすのつみのごとし):人を殺したと同じ刑罰を与える、という誇張表現。
- 阱(じょう):落とし穴、罠、潜在的に危険な場所・制度の比喩。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
私は初めて斉の国境に入ったとき、
まず「この国で最も重い禁令は何か?」を尋ねました。
すると、「都の関所の内に広さ四十里の苑があり、
その中で鹿を狩る者は、人を殺したのと同じ罪に問われる」と聞きました。
それならば、そんな苑は国の中にある“落とし穴”のようなものではないでしょうか。
民がそれを“大きすぎる”と非難するのは、当然のことです。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「権力者が自分の楽しみのために法を過度に厳格に適用する不条理」**を批判しています。
民にとって身近な自然(野鹿)を、「王のもの」として囲い込み、
さらにそれに触れた者を「人殺し」と同等に裁くというのは、支配の横暴と独占に他なりません。
孟子は、「その広さの問題ではなく、“閉鎖性”と“民への圧迫”が問題なのだ」と喝破します。
このような制度は、**国の中にある“制度的な罠”=落とし穴(阱)**となり、
民の信頼を失わせ、反感を呼び起こすものとなります。
7. ビジネスにおける解釈と適用
✅ 「過度な制限は、制度の罠を生む」
制度が本来の目的から逸脱し、現場にとって不条理な“罠”と化していないか。
ルールや特権的な領域が、社員の行動や発想を“封じる領域”になっていないか確認が必要。
✅ 「リーダーの領域は、透明であるべき」
トップや幹部の“専用スペース”や“特権的リソース”が閉鎖的・不可侵な領域になっていれば、
社員からの信頼や共感は得られない。
「共に使える」=共感と透明性がある空間設計が大切。
✅ 「ルールを守らせるより、共に守る設計へ」
ルールが一方的に課されると、不信感を生み出す。
共にルールを作り、共有する設計に変えることで、ルールは信頼に変わる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「閉ざされた制度は、信頼の落とし穴となる」
──共有なき特権は、不満と不信の源になる。
この章句は、「形式的な制度設計」と「本質的な公正さ」との間にあるギャップを、
孟子が鋭く突いた代表的な教訓です。
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