孟子は語る。
もし王が音楽を奏でているとき、民がその音色を聞いて心から喜び、互いに言い合うようであれば——
「我が王はお元気にちがいない。でなければ、あれほど楽しげに音楽を奏でることなどできまい」と。
また王が狩りに出かけたとき、民がその華やかな車馬や旗ざおを見て喜び合い、こう言うならば——
「王がご健勝であって何よりだ。元気でなければ狩りなどできるものではない」と。
こうした民の反応こそが、良き統治の証である。
民が王の楽しみを自らの喜びとして受け止めるのは、王が常に「民とともに楽しもう」としているから。
民の幸福を分かち合い、共に喜ぶ心を持つ者は、王者としての器に近づいている。
その政は人の心に届き、天下に信望を得るであろう。
ふりがな付き原文と現代語訳
「今(いま)、王(おう)此(ここ)に鼓楽(こがく)せんに、百姓(ひゃくせい)、王(おう)の鐘鼓(しょうこ)の声(こえ)、管籥(かんやく)の音(おと)を聞(き)き、挙(こぞ)って欣欣然(きんきんぜん)として喜色(きしょく)有(あ)り、而(しか)して相(あい)告(つ)げて曰(い)わく、吾(われ)が王(おう)は疾病(しっぺい)無(な)きに庶幾(ちか)からんか。何(なに)を以(もっ)て能(よ)く鼓楽(こがく)せんや、と。
今(いま)、王(おう)此(ここ)に田猟(でんりょう)せんに、百姓(ひゃくせい)、王(おう)の車馬(しゃば)の音(おと)を聞(き)き、羽旄(うぼう)の美(び)しきを見(み)て、挙(こぞ)って欣欣然(きんきんぜん)として喜色(きしょく)有(あ)り、而(しか)して相(あい)告(つ)げて曰(い)わく、吾(われ)が王(おう)は疾病(しっぺい)無(な)きに庶幾(ちか)からんか。何(なに)を以(もっ)て能(よ)く田猟(でんりょう)せんや、と。
此(こ)れ他(た)に非(あら)ず、民(たみ)と楽しみを同(おな)じくするが故(ゆえ)なり。今(いま)、王(おう)百姓(ひゃくせい)と楽しみを同(おな)じくせば、則(すなわ)ち王(おう)たらん」
現代語訳:
たとえば王が音楽を楽しんでいるとき、民がその音を聞いてにこにこしながらこう言うならば——
「王はお元気そうだ。でなければ、あんなに音楽を楽しめるはずがない」
また王が狩りをされるとき、民がその華やかさを見てにこにこしながらこう言うならば——
「王はご健康でなによりだ。そうでなければ、狩りになど出かけられまい」
このような反応があるのは、王が民と喜びを共有しているからである。
今、もし王が本当に民と喜びを共にしているなら、まさに王者たるにふさわしい人物である。
注釈
- 欣欣然(きんきんぜん)…にこにこと嬉しげなさま。喜びにあふれた表情を指す。
- 庶幾(ちか)からんか…おそらく、きっとそうだろうという推測や希望を表す。
- 羽旄(うぼう)…鳥の羽や牛の尾を用いた旗の飾り。王侯の威光を象徴する。
- 王たらん…真の王者となる、という孟子の最終的な評価の言葉。
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(喜びを共有することで得られる王権)true-king-shares-joy
(真の王は喜びを分かち合う)rule-with-shared-pleasure
(楽しみの共有が王道となる)
この節は、孟子の「民と共に生きる」思想の到達点とも言える部分です。王の行動が民に喜ばれるかどうか、それが王たる資格の試金石とされています。
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