斉の宣王が問いかける。
「“やらない”ことと“できない”ことは、どう違うのか?」
この率直な疑問に対し、孟子は二つの具体例を示して答える。
比喩① 泰山を抱えて渤海を飛び越える(=できないこと)
「もし誰かが泰山をわきに抱えて、渤海を飛び越えようとしたあとに、
『やはり無理だった、できなかった』と言ったとすれば、それは本当にできないことです」
これは、人間の限界を超えた行為。物理的に無理なことを「できない」と言うのは当然だと孟子は言う。
比喩② 年長者のために木の枝を折る(=やろうとしないだけ)
「一方で、年長者のために木の枝を一本折ってくれと頼まれて、
『できません』と言う人がいたら、それは“できない”のではなく、“やろうとしない”だけです」
これは、ほんのわずかな行動で済むこと。
体も能力もあるのに、ただ面倒だから、興味がないから、動かない――これが「為さざる者(しない者)」である。
結論:王者になることは「枝を折る」程度のこと
孟子は、これらの比喩を結び、宣王に強く語る。
「王が王者になっていないのは、泰山を抱えて海を越えるような、不可能なことではない。
ただ枝を一本折る程度のこと――つまり、やろうとすればできるのに、やらないだけなのです」
この言葉には、孟子の変わらぬ信念――**「為政者の徳と行動は意志によって実現できる」**という理念が込められています。
引用(ふりがな付き)
「曰(い)く、為(な)さざる者(もの)と、能(あた)わざる者との形(かたち)は、何(なに)を以(もっ)て異(こと)なるか。
曰く、太山(たいざん)を挾(かか)えて以(もっ)て北海(ほっかい)を超(こ)えんとす。人に語(かた)りて曰く、我(われ)能(あた)わず。是(こ)れ能わざるなり。
長者(ちょうじゃ)の為(ため)に枝(えだ)を折(お)らんとす。人に語りて曰く、我能わず。是れ為(な)さざるなり、能わざるに非(あら)ざるなり。故(ゆえ)に王(おう)の王(おう)たらざるは、太山を挾えて以て北海を超ゆるの類(たぐ)いに非(あら)ざるなり。
王の王たらざるは、是(こ)れ枝を折るの類なり」
注釈
- 太山(たいざん)…中国の聖山。非常に重く大きいものの象徴。
- 北海(ほっかい)…渤海。東の広大な海。超えることは不可能に近い比喩。
- 枝を折る…軽い行為の象徴。比喩として「少し手を動かせばできること」。
パーマリンク案(英語スラッグ)
do-what-you-can
(できることをやれ)not-cannot-but-will-not-2
(できないのではなく、やらないだけ・再び)small-effort-big-impact
(小さな行動が大きな変化)
補足:行動を起こさぬ限り、可能性は永久に実らない
孟子がここで訴えているのは、政治や徳の実現は、意志ある小さな行動から始まるという真理です。
- 民に恩が届かないのも
- 王者になれないのも
それは「不可能だから」ではなく、「始めていないから」。
これはリーダーだけでなく、すべての人に通じる自己実現への問いかけでもあります。
「本当はできるのに、やらないままでいないか?」
この章は、怠慢の言い訳を断ち切り、行動を後押しする孟子の「善意ある叱咤(しった)」といえるでしょう。
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