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名君に並ぶ道は、比較ではなく継続にある

書物を読むと、歴代の賢帝も賢臣も、みな努力を惜しまなかったという。しかし、それでも三皇・五帝のような理想の時代には及ばないのはなぜか――
太宗のこの問いに、魏徴はこう答えた。

「名君や名臣でさえ、最初は理想を目指して志を高く持つが、
いったん安楽に慣れ、地位や富を得れば、次第に奢り、怠り、志を見失ってしまう。
最後まで初志を貫ける者が少ないのです」と。

君主も臣下も、初めの志を失わず、怠らずに努力を続ければ、
名君と称えられた堯や舜、后稷や契を越えることも夢ではない。

比べるべきは、他人の治績ではなく、自らの志が持続しているかどうかである。
理想を超える道は、常に目の前にある。


原文(ふりがな付き)

貞觀(じょうがん)十二年、太宗(たいそう)、侍臣(じしん)に謂(い)いて曰(いわ)く、
「書(しょ)を讀(よ)み、前王(ぜんおう)の善事(ぜんじ)を見るに、皆(みな)力行(りっこう)して倦(う)まず。
その任用(にんよう)する所(ところ)の公輩(こうはい)数人(すうにん)、また賢(けん)なりと為(な)す。

然(しか)れども致理(ちり)して三・五(さんご)の代(だい)に比(ひ)するに、尚(なお)及(およ)ばず。
これは何(なん)ぞや」

魏徵(ぎちょう)對(こた)えて曰(いわ)く、
「今(いま)、四夷(しい)賓服(ひんぷく)し、天下(てんか)無事(ぶじ)なるは、曠古(こうこ)未(いま)だ有(あ)らず。

然(しか)れども、自古(いにしえ)より帝王(ていおう)初(はじ)めて卽位(そくい)する者(もの)は、皆(みな)勵(はげ)んで政(まつりごと)を爲(な)し、
その迹(あと)を堯(ぎょう)・舜(しゅん)に比(くら)べんと欲(ほっ)す。

しかるに安楽(あんらく)にして驕奢(きょうしゃ)放逸(ほういつ)すれば、
善(ぜん)を終(お)うること能(あた)わず。

人臣(じんしん)もまた初(はじ)めて任用(にんよう)を見(み)る者(もの)は、
皆(みな)主(しゅ)を匡(ただ)し時(とき)を濟(すく)わんと欲(ほっ)し、
その志(こころざし)を稷(しょく)・契(けい)に縱(たと)う。

然(しか)れども富貴(ふうき)になれば、則(すなわ)ち苟(いやしく)も官(かん)を保(たも)たんと欲(ほっ)して、
その忠節(ちゅうせつ)を盡(つく)すこと能(あた)わず。

若(も)し君臣(くんしん)共(とも)に常(つね)に懈怠(けたい)無(な)く、
各(おのおの)その志(こころざし)を保(たも)たば、則(すなわ)ち天下(てんか)に憂(うれ)いて不理(ふり)なること無(な)く、
自(おの)ずから古(いにしえ)を超邁(ちょうまい)すべし」

太宗曰(いわ)く、
「如卿言(きみのことば)の如(ごと)し」


注釈

  • 三・五の代:三皇五帝。中国古代の理想的な統治者(例:伏羲・神農・堯・舜など)。
  • 比迹(ひせき):その行跡(功績)を比べようとする意志。
  • 驕奢放逸(きょうしゃほういつ):驕り高ぶって贅沢に流れ、節度を失うこと。
  • 稷・契(しょく・けい):堯・舜に仕えた伝説的な賢臣。農政や法治に優れた功績を持つ。
  • 懈怠(けたい):気を緩めて怠ること。
  • 超邁(ちょうまい):超えて優れること。

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三皇・五帝との比較よりも、継続的な努力こそが本質であるという章の主張を端的に表しています。

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