災異や怪異が起こるとき、君主がなすべきは恐れ慌てることではなく、まず己の政を省みることである。
太宗の時代、地震や洪水、大蛇の出現といった災異が相次いだ。これに対して側近の虞世南は、歴史の先例に基づいて進言した――
「天の異変は、為政者への警告であり、徳をもって応えるべきです。妖気は徳に勝てません」。
迷信に惑わされず、自然を畏れつつも理をもって治める。その姿勢が天意に応える道である。
太宗はこれを受けて、被災地に援助を行い、囚人の再審を命じ、冤罪を晴らした。
異変を鎮める最善の方法は、政治の正しさと民への誠実である。
心正しくあれば、天もまた応えて災いを鎮める。
原文(ふりがな付き)
貞觀(じょうがん)八年、隴右(ろうゆう)の山(やま)崩(くず)れ、大蛇(だいじゃ)屢(しばしば)見(あらわ)る。山東(さんとう)・江(こう)・淮(わい)多(おお)く大水(たいすい)あり。
太宗(たいそう)、以(もっ)て侍臣(じしん)に問(と)う。祕書監(ひしょかん)虞世南(ぐ・せいなん)對(こた)えて曰(いわ)く、
「春秋(しゅんじゅう)の時(とき)、梁山(りょうざん)崩(くず)れ、晋侯(しんこう)伯宗(はくそう)を召(まね)いて問(と)う。
伯宗對(こた)えて曰く、
『諸侯(しょこう)は山川(さんせん)を以(もっ)て主(あるじ)と為(な)す。故(ゆえ)に山(やま)崩(くず)れ川(かわ)竭(か)れなば、君(きみ)はこれがために楽(がく)を舉(あ)げず、服(ふく)と乗(じょう)を降(くだ)し縵(ばん)とし、祝(しゅく)して礼(れい)をもってこれに報(むく)ゆ』と。
梁山(りょうざん)は晋(しん)の主(ぬし)なり。晋侯(しんこう)これに從(したが)いて山を祀(まつ)り、災(わざわい)を得(え)ず。
漢文帝(かん・ぶんてい)元年(がんねん)、斉(せい)・楚(そ)地、同日(どうじつ)に二十九山(にじゅうきゅうざん)崩(くず)れ、水(みず)大(おお)いに出(い)づ。
郡国(ぐんこく)にして獻(けん)を來(きた)らしむること無し、天下(てんか)に施惠(しけい)し、人々(ひとびと)皆(みな)歓洽(かんこう)して災(さい)と為(な)らず。
後漢(ごかん)霊帝(れいてい)の時(とき)、青蛇(せいだ)が御座(ぎょざ)に見(あらわ)れ、晋(しん)恵帝(けいてい)の時、長(ちょう)さ三百歩(さんびゃっぽ)の大蛇(だいじゃ)山東(さんとう)に現(あら)れ、市(いち)を經(へ)て洛陽(らくよう)に入り朝廷(ちょうてい)に至(いた)る。
按(あんず)るに蛇(へび)は草野(そうや)に在(あ)るべし。今(いま)山澤(さんたく)に見(み)ゆ、深山(しんざん)・大澤(たいたく)には必(かなら)ず龍蛇(りゅうだ)有(あ)り、怪(あや)しむに足(た)らず。
山東(さんとう)の雨(あめ)は常(つね)と雖(いえど)も、陰氣(いんき)久(ひさ)しければ、冤獄(えんごく)有(あ)るかもしれず。繫囚(けいしゅう)を省(しょう)し理(ことわ)るべし。
且(か)つ妖(よう)は徳(とく)に勝(まさ)らず。修徳(しゅうとく)すれば変(へん)を銷(しょう)する可(べ)し」
太宗(たいそう)これを以(もっ)て然(しか)りと為(な)し、使者(ししゃ)をして賑恤(しんじゅつ)し、餒(う)えたるを救(すく)い、訟(しょう)を申(しん)し理(ことわ)り、多(おお)く原宥(げんゆ)す。
注釈
- 妖気(ようき):自然現象のうち、災異・怪異とされるもの。政の乱れを示す兆しとも解された。
- 虞世南(ぐ・せいなん):太宗の側近で、文学や歴史に通じた重臣。進言に優れた人物。
- 冤獄(えんごく):無実の罪で投獄されていること。冤罪。
- 修徳(しゅうとく):徳を修め、道を正しくすること。為政者の基本とされた。
- 賑恤(しんじゅつ):災害などで困っている者に食糧・金品を与える救済行為。
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