貞観十三年、太宗は側近の魏徴らに語った。
「隋の煬帝は、父・文帝の豊かな治世を受け継いだ。
関中にとどまり民を安んじていれば、隋は滅ぶことはなかっただろう。
だが彼は、民を顧みず、諫言を拒み、行幸に耽った。江都に向かい、忠臣・董純や崔象の言葉にも耳を貸さず、ついには身を滅ぼした」
太宗はこの過ちを「天命」ではなく「人為」によるものと断じる。
「天子の寿命は天に委ねられているように見えても、実は行いがすべてを左右するのだ」と。
そして、自らの信条をこう語った。
「もし私に過ちがあれば、そなたたちは遠慮なく諫めてほしい。
すぐには従えないことがあっても、私は何度でも考え、善を選ぶと決めている」
■心得
- 天命を口実にするな。君の徳が国を支える
- 忠臣の諫めを受ける度量がなければ、王座は空虚な椅子に過ぎない
- 継承された繁栄に甘えるな。滅びの種は奢りと怠りから生まれる
■引用(ふりがな付き)
「帝祚(ていそ)の長短(ちょうたん)は、玄天(げんてん)に委(ゆだ)ぬといえども、
福善禍淫(ふくぜんかいん)は、亦(また)人事(じんじ)による」
■注釈
- 関中(かんちゅう):長安(現在の西安)を中心とする地域。古来より安定と繁栄の地とされた。
- 江都(こうと):現在の揚州市。煬帝が頻繁に行幸し、最終的に殺害された地。
- 董純・崔象:隋の忠臣。煬帝の過度な行動を諫めたが聞き入れられなかった。
- 帝祚(ていそ):皇帝の地位・命運。
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