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根を忘れて枝を育てるなかれ――異民族政策における慎重の道

貞観四年、唐の名将・李靖が突厥を破り、多くの突厥部族が降伏してきた。
太宗はこの機に、北方安定のための方策について臣下と協議を行う。

二つの相反する立場

温彦博の主張
突厥遺民を中国領内のオルドスに住まわせ、部族のまま保護することで恩義を施し、信頼を得るべきだ。
これは後漢の光武帝が匈奴の単于を受け入れた例にならうものであり、聖人の「教化」思想に立脚していた。

魏徴の反対意見
突厥は顔こそ人間だが心は野獣。過去の遊牧民族による侵略の歴史を思えば、彼らを中国の心臓部近くに置くのは禍根を残す。
「晋の武帝が胡族を排除しなかった結果、洛陽は陥落した」と、歴史の教訓を引いた。

杜楚客の補足意見
突厥の如き遊牧民は「威には服すが、徳には服さず」。中国中心の国制を維持するためには、彼らを内地に住まわせるべきではない。
「夷をもって華を乱させてはならない」と『春秋』の原則を挙げた。


目次

太宗の選択とその帰結

太宗は温彦博の案を採用し、突厥人を内地(幽州から霊州)に移住させて、順・祐・化・長の四州を設置して管理した。
彼らには高位の官職と厚い俸禄が与えられ、長安に住む突厥人は一万家にも達した。

しかし貞観十三年、突厥人・阿史那結社率が反乱を企て、太宗の御営に夜襲をかけた。
失敗して処刑されたが、この事件を機に太宗はようやく異民族を内地に置いたことを後悔する。

その後、彼らを再び河北へ移し、李思摩を「乙弥泥熟俟利苾可汗」として可汗に封じ、自領地で統治させる形式を取った。


太宗の反省の言葉

「中国の民は木の根であり、異民族は枝や葉。根を養わず枝を育てて長い繁栄を望むのは、道理に反する。
初めに魏徴の言に従わなかったことで、国家財政を浪費し、国の安定を危うくしたのだ」


■引用(ふりがな付き)

「中国(ちゅうごく)の百姓(ひゃくせい)は、実(じつ)に天下(てんか)の根本(こんぽん)なり。
四夷(しい)の人は、乃(すなわ)ち同じく枝葉(しよう)。
その根本を擾(みだ)して枝葉を厚(あつ)くし、長く安んずるを求むるは、未(いま)だこれ有(あ)らざるなり」


■注釈

  • オルドス:黄河湾曲部の北部、内モンゴル地方。遊牧民族との境界地帯。
  • 魏徴:唐の名臣。遊牧民族への対応や歴史の教訓に鋭敏で、強い反対意見を述べた。
  • 突厥(とっけつ):6〜8世紀に中央アジアで勢力を誇ったテュルク系民族。
  • 乙弥泥熟俟利苾可汗:突厥の旧地に設けられた新体制下での称号。唐の庇護下に置かれた。
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