貞観二十二年、太宗が再び高句麗への遠征を決意したとき、重病に伏せていた老宰相・房玄齢は最後の力を振り絞り、命を賭して諫めの上奏を行った。
彼はこう訴えた。
「今、天下は安定し、唐の徳は遠く夷狄にまで及んでいます。
突厥・高昌・吐谷渾などのかつての強敵も、すでに平定されました。
高句麗も一度の征討で多くの城を落とし、遺骨を葬り、かつての恥を雪ぎ、陛下の功績はすでに前王をはるかに凌いでおります」
しかし、今このときの再遠征には、大義も益も見出せない。
高句麗が唐に逆らっていないのに討つのは、無益な犠牲を強いるだけだと房玄齢は説いた。
彼は『易経』と『老子』を引き、「得ることは、失うことの始まりであり、知足・知止こそが、真の王道である」と語った。
房玄齢は陛下の仁愛、英知、軍略、文芸のすべてを深く称えたうえで、
「だからこそ、このまま恩をもって諸国に徳を施し、兵を退き、寛大なる詔を発すべきだ」と願った。
これは単なる反戦の進言ではない。忠義の極みであり、国家のために命を懸けた最後の奉公であった。
太宗はこの上奏を読み、深く嘆息して「危篤の身でありながら、なお国を思うか」と言い、
その意見には従わなかったものの、「至極の良策であった」と称えたという。
■引用(ふりがな付き)
「老子(ろうし)曰(いわ)く、『知足(ちそく)は辱(じょく)を受(う)けず、知止(ちし)は殆(あや)うからず』と。
臣(しん)謂(おも)えらく、陛下(へいか)の威名(いめい)と功徳(こうとく)は、亦(また)可(か)なり。
拓地開疆(たくちかいきょう)すべき必要は、また、無し」
■注釈
- 房玄齢(ぼうげんれい):唐初の名宰相。臨終間際に太宗に宛てたこの上奏は、忠臣の象徴として名高い。
- 止足(しそく):満足すること、退くことを知ること。儒・道の両教義で重んじられる思想。
- 崤陵の枯骨を掩う:過去の戦没者の霊を弔い、敗戦の恥をそそぐ行為のたとえ。
- 知進而不知退:進むことしか知らず、退くことを知らない愚かさを戒める『易経』の言葉。
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