貞観十六年、太宗は北方の強国・薛延陀に対し、二つの選択肢を提示した。
一つは十万の精兵をもって討伐し、武力で服従させること。
もう一つは、皇女を嫁がせて通婚し、平和を築くこと。
太宗は語った。
「民の父母たる者として、人民の安寧をもたらせるならば、娘一人を惜しむべきではない。
北狄の習俗では、母系の力が強く、娘が子を産めばそれは私の外孫となる。
それがあれば、侵略など起こり得ない。三十年は国境が安泰となろう」
これに対し、房玄齢はこう答えた。
「隋の乱の後で、まだ国力は十分に回復しておりません。戦は凶器、慎重であるべきです。
二つの策のうち、通婚こそが天下の民にとって幸いです」
国を守るとは、ただ敵を討つことではない。
長く続く平和の道を選び、民を戦の苦しみから遠ざけることこそが、為政者の本義である。
威を示すより、徳を通じる――それが太宗の真の決断力である。
■引用(ふりがな付き)
「我(われ)蒼生(そうせい)の父母(ふぼ)たるを為(な)す。苟(いやし)くも之(これ)を利(り)する可(べ)からば、豈(あに)一女(いちじょ)を惜(お)しまんや」
■注釈
- 薛延陀(せつえんだ):突厥滅亡後に興ったテュルク系の強国。唐の北方に位置した。
- 通婚(つうこん):皇族の女性を外国の支配者に嫁がせる外交政策。
- 兵凶戦危(へいきょうせんき):兵は危険な道具であり、戦は最も慎むべき行為であるという古来の思想。
- 蒼生の父母(そうせいのふぼ):為政者は天下の人民を慈しむ親のような存在であるべき、という儒教的な理念。
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