貞観十四年、唐の将軍・侯君集は高昌国を討伐する任にあった。
敵国の王・麴文泰の葬儀の日取りが知らされ、配下はその機に乗じて急襲すべきだと進言した。
だが、侯君集はこれを拒んだ。
「天子が我々を遣わしたのは、傲慢な国を誅するため。
その使命を受けた者が、墓所での葬儀を襲うなど、どうして“武”と称えられようか。
それは正義の軍ではなく、ただの賊と変わらぬ」
彼は葬儀が終わるのを待ってから進軍し、堂々と高昌国を平定した。
勝利を急ぐことより、礼を守ることを選んだその姿勢に、武の本質がある。
戦であっても、否、戦だからこそ、礼節が問われる。
敵を討つにも、心に徳と節度を備えねば、真の勝利とはならない。
■引用(ふりがな付き)
「天子(てんし)、高昌(こうしょう)の驕慢(きょうまん)を以(もっ)て、吾(われ)をして天誅(てんちゅう)を恭(うやうや)しく行(おこな)わしむ。乃(すなわ)ち墟墓(きょぼ)の間(あいだ)に於(お)いて其(そ)の葬(そう)を襲(おそ)うは、以(もっ)て武(ぶ)と称(しょう)すに足(た)らず。此(こ)れ問罪(もんざい)の師(し)に非(あら)ず」
■注釈
- 侯君集(こうくんしゅう):唐の兵部尚書。高昌国討伐の総司令官。
- 麴文泰(きくぶんたい):高昌国の王。戦中に死去し、葬儀が行われた。
- 問罪の師(もんざいのし):道義に基づいて悪を正す軍。名分をもって出征する正義の軍勢。
- 墟墓(きょぼ):墓地。ここでは葬儀・埋葬の場を意味する。
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