―『貞観政要』巻四より:太宗の赦免に関する考え
🧭 心得
赦しは時に美徳だが、常に正義とは限らない。
太宗は、「恩赦」は本来、非常の措置であり、安易に繰り返すべきではないと断じた。なぜなら、愚者は赦免に希望を託して罪を重ね、善人は沈黙を強いられるからである。
歴代の事例を引き、蜀の諸葛亮が十年間一度も恩赦を行わずとも秩序を保ったこと、逆に梁の武帝が度重なる恩赦で国を傾けたことを示して、赦しの乱用は国家の乱れを招くと強調する。
法があるべき重みを失えば、人は善を行わず、悪を咎めず、結果として治まるべき社会も乱れる。
赦しの本質は慎重に扱われるべき、非常時の徳政である――それが太宗の確信だった。
🏛 出典と原文
貞觀七年、太宗、侍臣に謂いて曰く:
「天下には愚者が多く、智者は少ない。智者は決して悪をなさず、愚者は法を犯すことを好む。
恩赦というものは、まさにその愚者に対して及ぶものだ。
古語に曰く、『小人の幸は、君子の不幸。一年に二度赦すと、善人は口を噤む』。
雑草を育てれば稲を損ない、奸邪に恩を施せば、良民が害される。
昔、周の文王は刑罰を定め、赦しはなしとした。また、蜀の先主・劉備は諸葛亮に、『私は治乱を学んだが、恩赦の話など一度も聞いたことがない』と語った。
故に、諸葛亮は蜀を十年間治めて一度も赦さず、しかし国はよく治まった。
一方、梁の武帝は毎年何度も赦しを行い、結果、国は滅んだ。
そもそも、小さな仁(情け)を優先すれば、大きな仁(正義)を壊すことになる。
われが天子となって以来、一度も恩赦を出していないのはそのためだ。
四海が安んじ、礼義が行き渡る今こそ、非常の恩はむしろ慎重であるべきである。
愚人はそれを幸いとし、ますます法を軽んじ、悔い改めることもなくなってしまう。それこそ、最も恐るべきことである」。
🗣 現代語訳(要約)
太宗は、「恩赦は悪人に僥倖を与え、善人のやる気を失わせる」として、即位以来一度も赦免を行っていないことを語り、「恩赦の多用は国家の正義を損ない、社会秩序を乱す」と断言した。
📘 注釈と解説
- 恩赦(おんしゃ):国家が刑罰を免除・軽減する特別な措置。多くの場合、即位・慶事などに伴って出される。
- 小人の幸、君子の不幸:悪人に寛大にすれば、善人が損をするという意味。
- 諸葛亮(しょかつりょう):三国時代・蜀の宰相。慎重な法治政治で知られ、恩赦を行わず秩序を保ったとされる。
- 梁の武帝(りょうのぶてい):南朝梁の皇帝。理想主義的でたびたび恩赦を出し、結果的に政治が乱れたとされる。
- 謀小仁者、大仁之賊:小さな情けに走れば、大きな正義(仁)の妨げになる。
🔗 パーマリンク案(英語スラッグ)
clemency-must-be-rare
(主スラッグ)- 補足案:
pardon-when-needed-only
/no-mercy-for-evil
/justice-before-kindness
この章は、**「情に流されぬ国家運営」**の姿勢を象徴するものです。
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