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裁きは出世の道具にあらず

―『貞観政要』巻三より:太宗の法観と警戒

🧭 心得

司法の本義は、公正無私に人を救うことにあり、出世や名声のために人を裁くことではない。
貞観十六年、太宗は大理寺卿(法務大臣)・孫伏伽に対し、**「司法官が自己の栄達のために裁きを重くしていないか」**と深い懸念を示した。
甲冑師は鎧の堅牢さを、矢師は矢の鋭さを誇るように、司法官が「重罰の多さ」を実績として評価されるような風潮は、法の精神を損ない、民を危うくする。

太宗は、「昔よりも刑は寛大だ」との説明を受けながらも、「司法官が人を殺して名を上げているのではないか」と鋭く疑い、裁判の本質は栄達にあらず、寛明にあれと命じた。


🏛 出典と原文

貞觀十六年、太宗、大理卿・孫伏伽に謂(い)いて曰く:

「夫(そ)れ甲(よろい)を作る者は、その甲が堅くあって、着た者が傷つかぬことを願う。矢を作る者は、その矢が鋭くあって、相手を傷つけることを願う。

なぜなら、それぞれの職において、その効き目が収入や評価に直結しているからである。

われ常に法官に刑罰の軽重を問えば、『近年は昔よりも寛大である』との答えが返る。
それでも私は思う。主に獄を司る者(司法官)は、人を殺して自らは安全に身を置き、それをもって名声を得ているのではないか。今、私が最も憂いているのは、まさにこの点である。

くれぐれも、裁きを栄達の手段とすることを禁じ、寛容と公平を重んずるように努めよ」。


🗣 現代語訳(要約)

司法官が裁判を厳しくするのは、自らの出世や評判のためではないか――太宗はそう疑い、裁きの本質は人を救うことであり、重罰によって名声を得るなどあってはならないと厳命した。


📘 注釈と解説

  • 大理寺(だいりじ):唐代の中央法務機関。刑罰・裁判に関する最高審判所。
  • 孫伏伽(そん・ふくか):唐初期の名法官。公平を旨とした裁判官として知られる。
  • 作甲者・作箭者:比喩として、自分の職務の成果がいかに評価されるかに意識が向くことを示す。
  • 主獄之司(しゅごくのし):司法を司る役人の意。判決や刑の決定に関与する者。
  • 危人自安(ひとをあやうくして、みずからはやすんず):他人を危険に陥れ、自分は安泰を得ること。自己保身的な態度を非難している。

🔗 パーマリンク案(英語スラッグ)

  • justice-not-career-ladder(主スラッグ)
  • 補足案:no-promotion-through-punishment / fairness-over-fame / law-with-mercy
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