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功あれども、法をもって裁く

―『貞観政要』巻三より

🧭 心得

法の前に、誰もが平等でなければならない。
たとえ国家の創業を支えた功臣であっても、罪を犯せば法によって裁かれる――それが公正な政治の根幹である。
貞観九年、高甑生は上官である李靖の命令に背き、さらには誣告まで働いたことで左遷処分を受けた。これに対して旧功を理由に寛大な処置を求める声が上がったが、太宗は「功をもって罪を免じれば、以後、功ある者は皆、法を軽んじるようになる」と厳然と拒否した。
太宗のこの姿勢は、私情を排し、法の威信と国家秩序を優先する治国の原則を鮮やかに体現している。

🏛 出典と原文

貞觀九年、鹽澤行軍總管(えんたくこうぐんそうかん)、岷州都督(びんしゅうととく)高甑生(こうそうせい)、李靖(りせい)の節度(せつど)に違(たが)い、また李靖の謀反(むほん)を誣告(ぶこく)して、死罪(しざい)を減(げん)じられ辺境(へんきょう)へ徙(うつ)された。

そのとき、ある者が上言して曰(いわ)く、「甑生は旧(きゅう)秦王府(しんおうふ)の功臣(こうしん)なれば、寛(かん)にその罪を赦(ゆる)されよ」。

太宗曰、「甑生はたしかに藩邸(はんてい)の旧労(きゅうろう)なれど、治国守法(ちこくしゅほう)においては、画一(かくいつ)でなければならぬ。今もし赦せば、僥倖(ぎょうこう)を望む者の前例となる

わが国が太原(たいげん)にて挙兵(きょへい)した時、従軍して功を挙げた者は数多い。もし甑生が免罪されれば、誰しも『自分も許される』と思うであろう。
ゆえに私は、法を軽んじさせぬためにも、決して赦さぬのである」。

🗣 現代語訳(要約)

太宗は、高甑生の旧功に免じての赦免を求める声に対して、「治国のためには法の一貫性が何より重要であり、特別扱いは混乱のもとになる」として、断固として赦さなかった。

📘 注釈

  • 功臣(こうしん):国家創建や戦功によって功績を立てた者。通常、朝廷から重く遇される。
  • 誣告(ぶこく):事実無根の罪を他人になすりつけること。
  • 画一(かくいつ):一律に扱い、例外を設けないこと。
  • 僥倖(ぎょうこう):思いがけない幸運、運に頼って罪を逃れようとする態度。
  • 藩邸(はんてい):皇子が皇太子となる前に住んでいた邸宅やその配下。秦王府は太宗の藩邸であり、その旧臣は太宗の創業時代の側近を指す。

🔗 パーマリンク案(英語スラッグ)

  • no-mercy-outside-the-law(主スラッグ)
  • 補足案:justice-over-past-glory / law-before-loyalty / no-pardon-by-merit-alone
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