―『貞観政要』巻一より
🧭 心得
国の盛衰は、音楽によって引き起こされるものではない。
音楽は人の心を映す鏡にすぎず、治政の善悪がそのまま人々の感情を通じて音色に反映されるだけである。
太宗は、亡国の悲歌が人々の涙を誘ったのは、曲そのものが悲しかったからではなく、政治の荒廃に苦しむ人々の心が悲しみを感じ取ったからだとし、外形よりも精神・人心のあり方こそを重視すべきだと説いた。
🏛 出典と原文
太常少卿(たいじょうしょうけい)祖孝孫(そこうそん)、新たに定めた楽(がく)を奏上す。
太宗(たいそう)曰(いわ)く、「礼楽(れいがく)の作(さく)は、聖人(せいじん)が物に因(よ)りて設(もう)け、節(せつ)を以(もっ)て和(わ)を成(な)す。だが、治政(ちせい)の善悪(ぜんあく)は、果(はた)してこれに由(よ)るか」。
御史大夫(ぎしだいふ)杜淹(とえん)曰、「前代(ぜんだい)の興亡(こうぼう)は、まさに楽(がく)に由(よ)ります。陳(ちん)の『玉樹後庭花(ぎょくじゅこうていか)』、斉(せい)の『伴侶曲(はんりょきょく)』は、聴く者(もの)皆(みな)涙(なみだ)し、これを亡国(ぼうこく)の音(おん)といいます。音楽(おんがく)は国運(こくうん)にかかわるものです」。
太宗曰、「不然(しからず)。音声(おんせい)そのものに人を感(かん)じさせる力はない。喜(よろこ)ぶ者はそれを聴いてさらに楽(たの)しみ、悲(かな)しむ者はそれを聴いて涙(なみだ)す。悲哀(ひあい)は人の心にあり、音楽によるものではない。……『玉樹』『伴侶』の曲は今なお残っている。もしそなたに奏(かな)でさせても、そなたはきっと悲しまぬだろう」。
尚書右丞(しょうしょうゆうじょう)魏徴(ぎちょう)曰、「古人(こじん)は言(い)いました。『礼というが、玉帛(ぎょくはく)か? 楽というが、鍾鼓(しょうこ)か?』。楽(がく)とは人和(じんわ)にあり、音声(おんせい)にはない」と。
太宗、これを然(しか)りとす。
🗣 現代語訳(要約)
杜淹は音楽が国家の盛衰に関わると述べたが、太宗は「人の心が音に感応するのであって、音が人を動かすのではない」と論じ、魏徴も「音楽の本質は人の和にある」と補足した。礼楽は形ではなく、精神に宿るべきである。
📘 注釈
- 玉樹後庭花:南朝・陳の最後の皇帝が好んだとされる曲。滅亡直前の享楽を象徴する。
- 伴侶曲:南斉滅亡期に作られたとされる曲。
- 鍾鼓(しょうこ):金属製の打楽器。ここでは音楽の象徴的存在。
- 礼云、楽云(れいうん、がくうん):形式的な礼楽ではなく、その精神的内容が重要であるという古典『礼記』からの引用。
🔗 パーマリンク案(英語スラッグ)
music-reflects-not-rules
(主スラッグ)- 補足案:
spirit-over-sound
/harmony-is-human
/songs-do-not-sink-nations
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