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礼とは身分の尊卑でなく、制度の秩序にある

―『貞観政要』巻一より

🧭 心得

個々の敬意や感情よりも、国家の制度としての礼秩序が優先されるべきである。
太宗は当初、皇子たちである親王に対し高官が下馬して拝礼するのを良しとしたが、魏徴はそれが法と故事に反し、制度上ふさわしくないと諫めた。
太宗は親の情を述べつつも、最終的には国家統治における制度的な一貫性と公正さを重んじ、魏徴と王珪の進言を容れた。
公私の感情を超えて、礼は国の柱として確立されるべきものである。

🏛 出典と原文

貞觀(じょうがん)十三年、禮部尚書(れいぶしょうしょ)王珪(おうけい)奏言(そうげん)して曰(いわ)く、
「令(りょう)に準(のっと)れば、三品(さんぴん)已上(いじょう)、親王(しんのう)に路(みち)に於(お)いて会(かい)すれば、下馬(げば)するに合(あ)らず。今(いま)は皆(みな)法(ほう)を違(たが)えて敬(けい)を申(しん)し、有(あ)に乖(そむ)ける禮典(れいてん)」。

太宗曰(たいそういわ)く、「卿輩(けいばい)は自(みずか)らを崇貴(すうき)して、我(わ)が児子(じし)を卑(いや)しめんと欲(ほっ)するか」。

魏徴對(ぎちょうこた)えて曰(いわ)く、「漢・魏已来(かん・ぎいらい)、親王(しんのう)の班(はん)は皆(みな)三公(さんこう)の下(した)なり。今(いま)、三品(さんぴん)は並(なら)びに天子(てんし)の六部(ろくぶ)・九卿(きゅうけい)、王(おう)のために下馬(げば)せば、王(おう)宜(よろ)しからず。故事(こじ)を求(もと)めるも、則(すなわ)ち憑(たの)むべき無し。今(いま)之(これ)を行(おこな)えば、また国法(こくほう)に乖(そむ)き、理(ことわり)よりして不可(ふか)なり」。

帝曰、「国家(こっか)、太子(たいし)を立(た)つる者(もの)は、擬(も)って以(も)って君(きみ)と為(な)す。人(ひと)の脩短(しゅうたん)は老幼(ろうよう)に在(あ)らず。設(も)し太子(たいし)無(な)ければ、則(すなわ)ち母弟(ぼてい)立(た)たん。以(も)って此(こ)れを言(い)えば、安(いずく)んぞ我(わ)が子(こ)を軽(かろ)んずるを得(う)べけんや」。

徴又曰、「殷人(いんじん)は質(しつ)を尚(たっと)び、兄(けい)亡(ほろ)ぶれば弟(てい)継(つ)ぐの義(ぎ)有(あ)り。自(じ)周已降(しゅういこう)、立嫡(りゅうちゃく)は必(かなら)ず長(ちょう)と為(な)す。以(も)って庶孽(しょげつ)の窺窬(きゆ)を防(ふせ)ぎ、禍乱(からん)の源本(げんぽん)を塞(ふさ)ぐ。国家(こっか)を為(な)す者(もの)は、宜(よろ)しく深(ふか)く慎(つつし)むべし」。

ここに至り、太宗(たいそう)ついに王珪(おうけい)の奏(そう)を可(か)とす。

🗣 現代語訳(要約)

王珪は、三品以上の高官が親王に下馬して拝礼するのは制度に反すると進言した。太宗は当初それに反対したが、魏徴の理に基づく諫言を受けて、ついに王珪の意見を採用し、法と礼の一致を重んじた。

📘 注釈

  • 三品(さんぴん):高位高官を指す。尚書省の長官や九卿など。
  • 親王(しんのう):皇帝の子で、王位を授けられた者。
  • 下馬(げば):敬意を表して馬から降りる礼。
  • 庶孽(しょげつ):正妻の子でない者。ここでは本来の皇位継承者以外の子。
  • 窺窬(きゆ):ひそかに地位を狙うこと。

🔗 パーマリンク案(英語スラッグ)

  • order-over-affection(主スラッグ)
  • 補足案:protocol-not-preference / ritual-must-rule / rank-respect-and-rule
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