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修行の道も、孝に背いてはならぬ

―『貞観政要』巻一より

🧭 心得

宗教の修行者であろうとも、孝を尽くすことは人の道として避けられない。
太宗は、僧侶や道士が「俗を離れた存在」として父母の礼を軽んじる風潮に警鐘を鳴らし、たとえ修行者であっても、父母には礼を尽くすよう命じた。
宗教は本来、人の善行を導くものであり、決して人倫や礼節を否定するものであってはならない。

🏛 出典と原文

貞觀(じょうがん)五年、太宗(たいそう)侍臣(じしん)に謂(い)いて曰(いわ)く、「佛(ぶつ)の設(もう)くる所(ところ)の教(おしえ)は、本(もと)より善事(ぜんじ)を行(おこな)わしむるものなり。豈(あに)僧尼(そうに)・道士(どうし)等(ら)自(みずか)ら崇(たか)しとし、坐(ざ)して父母(ふぼ)の拜(はい)を受(う)けんや。風俗(ふうぞく)を損(そこ)ない、禮經(れいけい)を悖亂(はいらん)す。宜(よろ)しく卽(すみや)かに禁斷(きんだん)し、仍(よ)って父母に拜(はい)を致(いた)さしむべし」と。

🗣 現代語訳(要約)

太宗は、仏教や道教の修行者が「高潔な存在」として父母の礼を省略することを戒め、それは礼を乱し風俗を損なうとし、修行者であっても父母に拝礼するよう命じた。

📘 注釈

  • 僧尼(そうに):仏教の僧侶・尼僧。
  • 道士(どうし):道教の修道者。
  • 坐して父母の拜を受く:自分が上位にあるかのように、父母の礼を座って受ける不遜な態度。
  • 悖亂(はいらん):道理や教えに反し、秩序を乱すこと。

🔗 パーマリンク案(英語スラッグ)

  • devotion-needs-filial-piety(主スラッグ)
  • 補足案:monks-must-bow / faith-does-not-excuse / no-exemption-from-filial-duty
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