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歴史に虚飾を加えるな、事実こそが未来の教師である

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君主の非も善も、記録されてこそ教訓となる

貞観十四年、太宗は国史の記録について房玄齢に問い、「なぜ歴代の皇帝は、自らの国史を閲覧できないのか」と疑問を呈した。
これに対し房玄齢は、「史官が君主の善悪を余すところなく記すことで、君主に非道をさせないようにする。
しかし、それを君主自身が見れば、史官は忖度し、記録が歪むおそれがあるためだ」と説明した。

太宗はこれに納得しつつも、自身は過去の行動を教訓として学びたいのだと述べ、国史の写本を求めた。
提出された実録を見ると、「玄武門の変」(626年)の記述があいまいであったため、
太宗は率直に語った。

「私の行為は、かつての周公旦が王室安定のために兄弟を討ったこと、魯の季友が国家のために兄を毒殺したことと同じである。
目的は社稷(しゃしょく)を安んじ、万民を利することにあった。ならば、史官がそれを事実として書かぬ理由はあるまい。
美化された文言など不要である。直ちに事実を正しく書け

この太宗の姿勢に対し、侍中の魏徴は賛意を示した。
「天子は地位の高さゆえに、何事にも遠慮なく振る舞えるといいますが、
国史だけは例外であり、正直に記すことでこそ、勧善懲悪の道を保てます。
今、陛下が修正を命じたのは、まさに至公(しこう)の精神に適っています
」と述べた。


出典(ふりがな付き引用)

「彰善癉惡(しょうぜんたんあく)、足(た)る将来(しょうらい)の規誡(きかい)となす」
「史官(しかん)執筆(しっぴつ)するに、何(なん)ぞ隠(いん)するに煩(わずら)わしからん」
「昔(むかし)周公(しゅうこう)は管・蔡(かん・さい)を誅(ちゅう)して王室(おうしつ)を安(やす)んじ、季友(きゆう)は叔牙(しゅくが)を鴆(ちん)して魯国(ろこく)を寧(やす)んぜり。朕(ちん)の為(な)す所(ところ)、義(ぎ)これに同(おな)じ」
「書(しょ)、以(もっ)て実(じつ)とせずんば、後嗣(こうし)何(なに)を観(み)ん」


注釈

  • 玄武門の変(げんぶもんのへん):626年、李世民(後の太宗)が兄弟を殺害して帝位を奪取した政変。
  • 社稷(しゃしょく):国家の象徴。社は土地神、稷は穀物神。
  • 実録(じつろく):君主の言行を日々記録した史書。のちに正史編纂の基礎資料となる。
  • 至公(しこう):きわめて公正無私なこと。
  • 鴆(ちん)する:毒殺する。季友の兄弟殺しを意味。

パーマリンク(スラッグ)案

  • write-history-as-it-was(歴史を飾らずに記せ)
  • truth-over-legacy(名声より真実を)
  • learning-from-our-own-darkness(過ちも教訓とせよ)

この章は、「自らの過去を正しく記す勇気こそが、為政者の品格である」という、太宗の統治哲学の核心を示しています。
真実を恐れずに記録することで、未来の指針とする――これは現代においても揺るがぬ歴史の原理です。

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