君主の名声は、言葉ではなく行いによって残る
貞観十一年、著作佐郎の鄧隆(とうりゅう)が上奏し、太宗の過去の文章を編纂して文集としたいと申し出た。
これに対して太宗は、文集の作成そのものを明確に拒否した。
太宗はこう述べる。
「政治上の命令が民の利益となるならば、それは史官が記録して後世に伝えてくれる。
しかし、もし過去の教訓を学ばず、政治を乱し、民に害をなしたならば、
どれほど美辞麗句に満ちた文集を残しても、それは後世の笑い者になるだけである」と。
さらに彼は、南朝梁の武帝親子、陳の後主、隋の煬帝などを例に挙げ、
文集を多く残してはいるが、いずれも徳を欠いたゆえに国を滅ぼしたと批判した。
つまり、文章を残すことが重要なのではなく、政治において最も大切なのは「徳行」であるという一貫した主張である。
このように太宗は、自らの文才を誇るのではなく、民に尽くす行動を通じて名を残すべきだという姿勢を明確にした。
言葉は朽ちるが、行いが人を生かし、歴史に残る――それが太宗の君主としての信念であった。
出典(ふりがな付き引用)
「若(も)し事(こと)を制(せい)し令(れい)を出(い)だし、人(ひと)に益(えき)ある者(もの)あらば、史(し)これを記(しる)し、不朽(ふきゅう)に足(た)るべし」
「若(も)し古(いにしえ)を師(し)とせず、政(まつりごと)を乱(みだ)し、物(たみ)を損(そこ)なう者(もの)あらば、詞藻(しそう)ありといえども、後代(こうだい)の笑(わら)いを貽(のこ)す」
「凡(すべ)て人主(じんしゅ)は惟(た)だ徳行(とくこう)に在(あ)り。何(なん)ぞ必(かなら)ずしも文章(ぶんしょう)を事(こと)とせんや」
注釈
- 著作佐郎(ちょさくさろう):文書編纂・記録を職とする官職。
- 詞藻(しそう):美しい言葉、文体のこと。装飾的な文章。
- 宗社(そうしゃ):国家の祖先祭祀と土地神祭祀。転じて国家そのものを指す。
- 師古(しこ):古人に学ぶ、前例を手本とするという意。
- 貽笑(いしょう):後世の笑い種になること。
パーマリンク(スラッグ)案
deeds-not-words
(文章より行動を)virtue-over-vanity
(虚飾よりも徳行)no-glory-in-words-alone
(言葉だけに栄光はない)
この章は、リーダーが何をもって後世に名を残すべきかという根本的な問いに対して、
「それは記録でも詩でもなく、政治と徳の実践である」と明言する、実に太宗らしい実務主義の精神を示しています。
現代のリーダーにも通じる、自己顕示よりも公共奉仕を選ぶ覚悟を教える章です。
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