正義の解釈を定め、学の混乱を正す
貞観四年、太宗は儒学の根本である五経の本文と注釈が長年にわたって混乱していることを憂い、
当時の学問的最高権威であった顔師古(がんしこ)に詔を下して、五経の校訂を命じた。
師古は秘書省の蔵書を精査し、誤字脱字、誤解釈を正す作業に着手した。
作業の完了後、太宗は房玄齢に命じて多くの儒者を集め、議論を重ねさせたが、
当時の学派はそれぞれが異なる師の教えを受け継いでおり、長年の誤りや思い込みも含まれていたため、
師古の校訂に対し激しい異論が噴出した。
しかし顔師古は、晋や宋以来の古本を根拠に、明晰で的確な反論を加え、
すべての異説を理詰めで論破。儒者たちはその見識と証拠の深さに圧倒され、やがて全員が従った。
太宗はこれを大いに評価し、顔師古に絹五百疋を賜り、従三品の地位を授け、
その校訂本を全国に配布して学者に学ばせた。
さらに太宗は、儒学の章句が煩雑で分派が多く、学問としての共通理解が不足していることを憂い、
顔師古・孔穎達らに命じて、五経の統一解釈を編纂させた。
その成果は全180巻に及ぶ『五経正義』となり、国家の公式教材として国子監で施行された。
これは、一国の学問基盤を揺るぎない体系として築いた文化事業の到達点であり、
儒学を法に次ぐもう一つの「規範」として制度化した歴史的偉業である。
出典(ふりがな付き引用)
「詔(みことのり)して中書侍郎(ちゅうしょじろう)顔師古(がんしこ)に五経(ごきょう)を考定(こうてい)せしむ」
「諸儒(しょじゅ)皆(みな)非(ひ)とし、異端(いたん)蜂起(ほうき)す」
「師古(しこ)、晋(しん)・宋(そう)以来(いらい)の古本(こほん)を引(いん)きて、詳明(しょうめい)に答(こた)え、皆(みな)意表(いひょう)に出(い)づ」
「撰定(せんてい)五経疏義(ごきょうそぎ)、凡(およ)そ百八十巻(ひゃくはちじゅっかん)、名づけて『五経正義(ごきょうせいぎ)』と曰(い)う」
注釈
- 五経(ごきょう):『詩経』『書経』『礼記』『易経』『春秋』。儒教の根本経典。
- 顔師古(がんしこ):唐初の大学者・注釈家。漢学における実証主義の祖とされる。
- 疏義(そぎ):注釈と解釈の意。原文に加え、その意味を体系的に示すもの。
- 五経正義(ごきょうせいぎ):儒学の国家的統一注釈書。太宗の命により編集された。
- 異端蜂起(いたんほうき):異なる学派の説が多く出て議論が紛糾する様子。
パーマリンク(スラッグ)案
standardizing-classics
(経典の統一)truth-through-textual-criticism
(校訂で真理を導く)canonizing-confucianism
(儒学の正典化)
この章は、政治と学問が一体となり、国の知的基盤を整備した一大文化政策の象徴です。
学問の信頼性と公共性は、こうした不断の校正と議論によって守られるべきであるという姿勢は、
現代においても極めて重要な示唆を与えます。
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