儒学をもって国を興し、徳をもって世界を導く
貞観二年、太宗は国家の学問制度を抜本的に改革し、孔子を先聖とする国学の制度化を断行した。
孔子廟を国子監(国立大学)に設け、礼典に基づいて孔子を「先聖」、顔回を「先師」とし、
礼器・舞踏もすべて制度として整備された。
さらに全国から儒者を集めるため、絹や馬などを与えて長安に呼び寄せ、
年齢にかかわらず才能ある者は積極的に登用された。
経書に一通以上の通暁がある者は、官職に取り立てられ、実務へと生かされた。
国子監には四百間を超える学舎が増築され、
国子学・太学・四門学・広文館の学生数を大幅に拡充。
また、書学や算学といった実用分野にも博士と学生を配置し、総合的な人材育成が図られた。
太宗自身もしばしば国子監を訪れ、学長や学者に講義をさせ、講義後には報奨を与えるなど、
学問への敬意と支援を惜しまなかった。
その結果、全国から儒者が数千人規模で集まり、さらには吐蕃、高昌、高句麗、新羅などの異国の王たちも
子弟を留学させたいと申し出るほどとなった。
学舎には書物を背にした者があふれ、その数はついに一万人近くに達し、
かつてない規模で儒学が栄え、国家の徳治の根幹を成したのである。
出典(ふりがな付き引用)
「孔子(こうし)を以(もっ)て先聖(せんせい)と為(な)し、顔子(がんし)を先師(せんし)とす」
「大(おおい)に天下(てんか)の儒士(じゅし)を収(おさ)め、帛(はく)を賜(たま)い伝(でん)を給(あた)え、京師(けいし)に詣(いた)らしむ」
「国学(こくがく)、学舎(がくしゃ)を四百余間(しかんよかん)増(ぞう)し、書(しょ)・算(さん)にそれぞれ博士(はかせ)と学生(がくしょう)を置(お)く」
「四方(しほう)の儒生(じゅせい)、書(しょ)を負(お)いて至(いた)る者(もの)、蓋(けだ)し数千(すうせん)に及(およ)ぶ」
「鼓篋(こきょう)して筵(えん)に升(のぼ)る者、幾(ほとん)ど万人(ばんにん)に至(いた)る。儒学(じゅがく)の興(こう)、古昔(こせき)未(いま)だ有(あ)らざるなり」
注釈
- 国子監(こくしかん):国家直轄の最高教育機関。後の大学に相当。
- 先聖・先師(せんせい・せんし):聖人として最も崇敬される孔子と、その弟子の顔回を祀る儀礼的役割。
- 書・算(しょ・さん):文字や計算などの実学分野。儒学と並行して教えられた。
- 鼓篋(こきょう):書箱を打ち鳴らす意で、書を携えて入学する姿を表す。
- 帛(はく):絹。報奨や旅費などに使われた。
パーマリンク(スラッグ)案
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(学が国を養う)confucian-flourishing
(儒学の興隆)education-as-statecraft
(国家を育む教育)
この章は、教育を国家戦略の中心に据えるという、先見的な文化政策の成功例を描いています。
「人を育てることが国を育てる」という理念は、あらゆる時代の根本原理として今なお通用する金言です。
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