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罰とは、人目にさらすことの力を知れ


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実刑よりも、恥を知ることが人を改めさせる

貞観六年、右衛将軍・陳万福が、九成宮から長安へ向かう途中、宿駅の官舎にあった小麦粉数石を違法に奪い取るという小規模ながら不正な行為を行った。
それに対し太宗は、法によって処罰するのではなく、あえてその小麦粉を陳万福に「賜物」として与え、自らの手で背負わせて宮殿から出て行かせた。

これは、公衆の目に晒すという形で恥をかかせることで、本人に反省を促し、同時に周囲への警告としたのである。
太宗は、「力による罰」ではなく「道徳的な羞恥」をもって戒めとする手法を用いた。
これは、「過ちに対しては、必ずしも厳罰が最善ではない」というリーダーの智慧でもある。

この章は、軽い過ちには軽いが効果的な方法で向き合うべきだという政治的なバランス感覚と、
名誉と羞恥心が人を制御する強力な力となることを示している。


出典(ふりがな付き引用)

「太宗(たいそう)、其(そ)の麩(ふ)を賜(たま)い、自(みずか)ら負(お)いて出(い)でしめ、以(もっ)て之(これ)を耻(は)じむ」


注釈

  • 麩(ふ):小麦粉のこと。当時は重要な食糧であり、勝手に取得することは違法。
  • 耻(は)じむ:恥をかかせること。道義的な羞恥によって自省を促す意。
  • 負(お)いて出でしめる:本人に不正取得した物品を自ら運ばせることで、公然とその行為を周知させる。

パーマリンク(スラッグ)案

  • shame-over-punishment(罰よりも恥で諭す)
  • public-accountability(公に晒す責任)
  • humble-correction(辱めによる矯正)

この章は、現代でも応用可能な「処罰の方法」に関する深い示唆を含んでいます。
名誉ある者ほど、刑罰よりも「人目にさらされること」の方が効果的であり、
「制裁とは何のためにあるのか」を再考させる重要なエピソードです。

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