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小さな過ちを暴く者、大きな信を失う


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忠言は正義ではなく誠意から

太宗は、進言の道を開いたのは忠義の声を聞くためであり、告発合戦の場とするためではないと強く訴えた。
多くの者が同僚の小さな過失を封書で告発してくるが、それは真の忠義ではなく、讒言にすぎない。
君主が臣下を疑い始めたとき、臣下の声は上に届かなくなり、結果として国政の是正も困難になる――
これは太宗が歴代の帝王から学んだ教訓である。

批判は、相手を正すためではなく、自らを高めるためのものでなければならない。
人の小さな欠点をあげつらっても、信頼は生まれない。
むしろ、忠義に満ちた進言とは「相手を活かすための言葉」であり、国家にとって益となるのはそうした誠意の声である。


出典(ふりがな付き引用)

「自古(いにしえ)より帝王(ていおう)、天心(てんしん)に合(あ)いて太平(たいへい)を致(いた)す者(もの)は、皆(みな)股肱(ここう)の力(ちから)による」
「比来(ひごろ)直言(ちょくげん)の路(みち)を開(ひら)くは、庶(こいねが)はくは屈(くつ)するを知(し)り、諫諍(かんそう)を聞(き)かんと欲(ほっ)するがためなり」
「細(さい)かなることを訐(あば)くに足(た)らず」
「君(きみ)が臣(しん)を疑(うたが)えば、下(しも)は上(かみ)に達(たっ)する能(あた)わず」
「上書(じょうしょ)して人(ひと)の小(ちい)さき悪(あく)を訐(あば)く者(もの)は、讒人(ざんにん)の罪(つみ)を以(もっ)て之(これ)を罪(つみ)せん」


注釈

  • 股肱(ここう):手足に例えられる有能な臣下。国家を支える人材。
  • 訐(あば)く:人の過失や欠点を暴き立てること。ここでは批判・告発の意。
  • 屈(くつ)する:冤罪や不当な扱いを受けること。
  • 諫諍(かんそう):主君の誤りを正すための忠告・直言。
  • 讒人(ざんにん):人の悪口を言って他人の評価を下げようとする者。誹謗中傷する者の意。
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