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第二章 隋の佞臣は唐になっても変わらない

一、現代語訳

貞観7年(633年)、太宗が**蒲州(現在の山西省南部)に巡幸(視察)**した時のこと。

その地の刺史(長官)趙元楷は、地元の高齢者たちに黄色い薄絹の単衣を着せて沿道に並ばせ、自らも同じ服で太宗を迎えた。また、役所の建物を豪華に飾り立て、塀や楼閣を修繕して見た目を整えた。さらに、密かに100頭を超える羊、数千匹の魚を用意し、太宗の随行する高官や皇族たちに贈ろうとした

このことを知った太宗は、趙元楷を呼びつけて叱責した。

「私は黄河・洛水流域の州々を巡ってきたが、どこでも必要な物資は公費(官物)で調達し、私費や民間からの供出は求めていない
そなたが行っているような羊を飼ったり魚を準備したり、役所を飾り立てる行為は、かつて滅んだ隋の時代の悪習である。
今の唐の時代に、それを繰り返してはならない。私の気持ちを察し、旧態を改めるように」。

趙元楷は、隋代においても邪佞(おべっか使い)な役人として知られていた人物だったため、太宗はあえてこれを引き合いに出して、強く戒めたのである。

その後、趙元楷は深く恥じ入って恐れ、数日間何も食べられないまま亡くなった


二、用語と注解

用語解説
蒲州(ほしゅう)現在の山西省南部、黄河の要衝地帯。唐代の行政区画のひとつ。
刺史(しし)地方の行政長官にあたる官職。州の最高責任者。
黄色い薄絹の単衣高貴な色・装いとされ、演出・歓待として使用。民間の負担が大きい。
廨宇(かいう)役所の建物・庁舎。
楼雉(ろうち)高楼や城壁など、装飾や防備の構造物。
貴戚(きせき)皇族やそれに準ずる高貴な身分の人々。
官物政府の備蓄品、公費によって支給される物資。

三、章の要点とテーマ

項目内容
主題前代(隋)の悪習を繰り返すことへの強い戒め。
太宗の姿勢見栄や形式にとらわれず、清廉で実質的な政治を尊ぶ姿勢を強調。
趙元楷の誤り派手な装飾と私的な贈答で権力に媚びへつらう旧習を再現。
結末譴責にショックを受けた趙元楷は、恥じ入って絶食の末に死亡

四、現代的な教訓

  • パフォーマンス重視の官僚文化への批判
     → 表面的な装飾や歓迎よりも、民の負担軽減と誠実な行政が第一
  • リーダーの意向と実務の乖離
     → 組織では、上の意図を正確に理解せず忖度ばかりすれば害を及ぼす。忠実さとは媚びではない。
  • 前例踏襲の危うさ
     → 「前代ではこうしていた」は通用しない。時代や方針の変化に敏感であるべき

五、太宗の政治理念との関係

本章は、太宗が一貫して掲げていた「清廉・質素・民本政治」の実践例といえる内容です。

民を思いやり、上に立つ者が先に正す」という太宗の理想に対し、
趙元楷のような「見せかけの礼遇・過剰な接待」は全否定されます。

これは『倹約篇』『誠信篇』『公平篇』などとも思想的に通底しており、太宗の政治的美学と哲学を色濃く反映しています。

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