一、現代語訳
貞観の初年、太宗は側近たちにこう語った。
「歴代の讒言(ざんげん:他人を陥れる虚言)やご機嫌取りの者たちを見れば、皆、国家にとっての害虫だ。
彼らは口が巧みで表面上は人当たりがよく、裏では徒党を組む。暗愚な君主や凡庸な支配者は、こうした者たちに惑わされて、忠義の家臣や孝行な子が冤罪で泣き悲しむことになる。『蘭の花が茂ろうとすれば秋風がこれを枯らし、明君が現れようとすれば讒言の者がこれを隠す』というのは本当にその通りだ。こうした事例は歴史書に数多く記されており、挙げればきりがない。
とりわけ、私たちが実際に目にした北斉や隋の事例を例に挙げよう。
かつて、北斉の将軍・**斛律明月(こくりつ めいげつ)**は名将として敵国にその名が轟き、北周は黄河の氷を砕いて、彼が渡れないようにしていた。しかし、祖孝徴の讒言によって彼は処刑され、北周はその機に乗じて北斉を攻め滅ぼす意志を固めた。
また、隋の名臣・高熲(こうけい)は、隋文帝の天下統一に大きく貢献し、二十年以上も国政を担った。しかし、文帝は独孤皇后の言葉に惑わされて彼を遠ざけ、後に煬帝に誅殺された。その時から、隋の政治は崩壊し始めたのだ。
さらに、隋の皇太子・**楊勇(ようゆう)**は、20年間にわたり軍政を担って地位を固めていたが、楊素が文帝を騙し、無実の太子を排除した。このことで父子の道が破壊され、乱れの根源が生まれた。
結局、文帝は嫡子と庶子の秩序を乱したことで自らも禍を被り、隋王朝は滅亡した。
古人が『世が乱れると讒言がはびこる』と言ったのは、まさに真理である。
私は常に讒言を断ち切ろうと努力しているが、それでも力の及ばないところや、気づかぬ部分があるのではないかと不安でならない。
『猛獣が山にいると、草木さえも無用に採られることはない。正直な臣下がいれば、邪悪な陰謀は消える』。
私がそなたたちに最も期待しているのは、まさにこのことだ。」
これに対して、魏徴が答えた。
「『礼記』には、『人に見られていない時にも慎みを持ち、聞かれていない時にも畏れを抱く』とあります。
『詩経』には、『穏やかで温厚な君子よ、讒言を信じるな。讒言に限界はなく、四方の国をも乱す』ともあります。
孔子もまた、『口先が巧みな者が国家を滅ぼすのを私は嫌う』と語っています。
私が思うに、これらはすべて同じことを述べています。
歴史を見れば、もし君主が讒言を信じて忠義な者を害した場合、その国の宗廟は荒れ果て、都市や朝廷には霜と露が降りかかるように荒廃するのです。陛下には、どうか深く慎重に構えていただきたいと願う次第です。」
二、用語と注解
用語 | 解説 |
---|---|
讒言(ざんげん) | 他人を陥れる虚偽の中傷。国家を混乱させる最たる要因。 |
斛律明月 | 北斉の名将。讒言により誅殺され、国を滅ぼすきっかけに。 |
高熲(こうけい) | 隋の名臣。文帝に讒言され失脚・誅殺。政治の安定が崩壊。 |
楊勇 | 隋の太子。楊素の讒言により排除された。これが隋の乱れの起点に。 |
魏徴 | 太宗に忠言を惜しまない名臣。多くの章で諫言を述べている。 |
三、章の主題と要点
項目 | 内容 |
---|---|
主題 | 君主が讒言を受け入れることの危険と、忠臣による諫言の重要性。 |
太宗の意図 | 歴史に学び、讒言を断ち切る努力をするが、力の及ばぬ部分を懸念。 |
魏徴の補足 | 古典と儒教に基づき、慎重な姿勢こそ国の安定につながると助言。 |
四、現代への示唆
- 組織運営での教訓
→ 表面上の報告だけに惑わされず、裏にある利害や私情を見抜く冷静さがリーダーには不可欠。 - リーダーの孤立回避
→ 忠臣の声が届く組織文化を育てない限り、リーダーはお世辞と虚偽の渦に飲まれる。 - 「悪貨は良貨を駆逐する」現象の防止
→ 正直な者を守る環境がなければ、賢者が去り、讒臣がはびこる。
五、まとめ
讒言は国家を滅ぼす毒。
歴史に学び、忠言を聞き、讒言を断つ体制づくりが王道政治の第一歩であると太宗は明言し、魏徴はそれを儒教の言葉で補強した一章です。
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