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第三章 悲しみに占いは関係ない

■現代語訳

貞観七年(633年)、襄州の都督(地方の軍事長官)**張公謹(ちょうこうきん)**が亡くなったという知らせが届いた。

この訃報を聞いた唐の太宗(李世民)は深く嘆き悲しみ、宮殿から別の場所に移動して、正式に喪を発表した(※礼儀に則って哀悼の意を示すため)。

そのとき、朝廷の礼儀係の役人(有司)が太宗に進言した。

「陰陽道(占星術)の書によれば、『辰の日(十二支の辰=たつの日)には、死者のために泣いてはならない』とされています。
これは民間でも広く忌避されている慣習です。」

すると太宗はこう答えた。

君主と臣下との関係は、父と子のようなものである。
私は心の中から自然と哀悼の気持ちが湧き出ているのに、辰の日だからといって、それを抑えられるだろうか?」

そして太宗は、張公謹に対して哭(こく:声を上げて泣く喪礼)を行った


■用語注釈

  • 襄州(じょうしゅう):現在の中国湖北省襄陽市付近。軍事的にも重要な地域。
  • 張公謹(ちょうこうきん):隋末から唐初にかけて活躍した名将。貞観年間に突厥討伐などで功績をあげたが、39歳で死去。
  • 出次發哀(しゅつじはつあい):「次(し)」は宮中の控え所や仮住まいのこと。太宗が儀礼のために場所を移し、喪を発表したことを指す。
  • 陰陽書(いんようしょ):暦占や風水、吉凶日を記した書物。ここでは「辰の日は哭いてはならない」という忌み日を指す。
  • 哭(こく):中国古代の喪礼で、声を上げて死者を悲しむ正式な儀式。

■解説と評価

この章は、太宗の真摯な人間愛と儀礼主義への超越を示しています。以下の点が特に重要です。


1. 形式より「真心」を重んじる姿勢

太宗は、礼官が示した「辰の日に哭いてはいけない」という陰陽道(占い)上の禁忌を退けました。
その理由は、「君臣の関係は父子のようなもの」という倫理的価値観に基づいています。

「心の中に自然と起こる悲しみを、暦の上の禁忌によって抑えるべきではない」

とする太宗の考えは、人情に即した誠実な君主像を強く印象づけます。


2. 倫理が占術を超えるという儒教的態度

儒教の世界観では、「天命」や「道徳」が最も重んじられ、占いに振り回されることをよしとしません。
太宗の対応は、陰陽五行思想よりも人倫・礼義を優先する儒家の理想に即しています

これは特に、「天命を受けた君主は占いに依らず、自らの徳と判断で行動すべし」という王道政治の体現です。


3. 張公謹への深い信頼と敬意

張公謹は、太宗の側近として政務や戦争において重要な役割を果たしました。
太宗が彼の死を聞いて儀式に則って哀悼の表明をし、禁忌を破ってまで哭礼を行ったことは、真の信頼と恩義に基づく行動であり、仁愛の徳を象徴します。


■要点まとめ

項目内容
背景張公謹の死去(貞観七年)
太宗の対応宮殿から出て正式に哀悼を表明、哭礼を実施
有司の進言「辰の日に哭くのは禁忌」と陰陽書に基づいて忠告
太宗の返答「君臣の義は父子と同じ。自然な哀悼は止められない」
意義儒教倫理>占術の価値判断、誠実なリーダー像の体現

この章は、単なる喪礼のエピソードではなく、人倫と誠意をもって政治にあたる君主の覚悟を描いたものであり、『貞観政要』の核心に迫る逸話のひとつです。

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