■現代語訳
貞観二年(628年)、太宗が側近にこう語った。
「世の人は、『天子となったら威厳を誇って恐れるものなどない』というが、私はそれに反対で、自らを謙遜に保ち、常に畏れ慎むべきだと考えている。昔、舜が禹にこう戒めた。『お前が自分の能力を誇らないから、天下にお前と才能を競おうとする者がいない。お前が功績をひけらかさないから、誰も手柄を争おうとしない』と。
また、『易経』にはこうある。『人情としては、自慢する者を憎み、謙虚な者を好む』と。もし天子が自らを高く掲げて謙虚でなければ、何か過ちを犯したとき、誰が顔色を伺わずに諫言してくれるだろうか。私は何かを言ったりしたりするときは、必ず上は天の意思を畏れ、下は群臣たちの目を憚るようにしている。天は高くともすべてを見ており、群臣たちは私を仰ぎ見ているのだから、どうして慎ましくあらずにいられようか。
このように自分を戒め、常に謙虚で慎み深くあることを心がけてはいるが、それでも天や人民の期待に応えられているのか、内心では不安でならないのだ。」
それに対して魏徴はこう述べた。
「古人は『誰しも最初は慎み深いが、それを最後まで保つ者は少ない』と申しております。どうか陛下には、この慎みの心を守り、日々慎み深さを積み重ねてくださいますように。それこそが国家を永続させ、社稷を安定させる道であります。堯や舜の太平の世も、まさにこの謙虚な政治によって築かれたのです。」
■注釈
- 舜の誡め:「汝惟不矜…」は『書経』大禹謨篇に見える名句。禹の徳を讃えた言葉。
- 『易経』の引用:「人情として…」は卦「謙」の彖伝(たんでん)より。謙虚こそが吉とされる教え。
- 「靡不有初、鮮克有終」:「何事にも始まりはあるが、それをやり遂げる者は少ない」の意。『詩経』大雅「蕩」に見られる言葉。
- 「宗社」:国家・王朝の象徴である宗廟と社稷(五穀の神)。転じて国家そのものを指す。
■解説
この章では、**「権力の頂点に立った者の謙虚さと自己抑制」**が主題です。
太宗は、皇帝という絶対的権力を持つ立場にありながら、「自らを戒める心を持ち続けるべきである」と明言します。これは、単に個人的な美徳ではなく、政治の安定・国家の永続に直結する大義であると彼は理解しています。
魏徴の答えもまた深く、最初の初心を忘れず、継続することの難しさと重要性を強調しています。ここに堯舜の聖王政治の本質があり、謙譲と自省が国を支える徳であるという思想が貫かれています。
■心得文(要約的な教訓)
「謙譲は政治の礎」
たとえ地位や権力の頂点に立とうとも、常に天を畏れ、民の目を憚り、謙虚にして己を慎むべし。功を誇らず、威を恃まず、言動には慎みをもって臨むこと。初めの慎みは誰もが持つが、それを貫く者は少ない。だからこそ、慎みは日々に積み重ね、己を修めてこそ、国家は永く保たれる。謙虚こそが、真に強き者の徳である。
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