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第一章 水源が濁れば川も濁る


■現代語訳

貞観の初年、ある者が上奏文を提出し、朝廷において皇帝に媚び諂うような佞臣を取り除くべきだと願い出た。

それに対して太宗は、その者に問いかけた。「私が現在任用している臣下は、皆賢者だと考えている。そなたは一体、誰が佞臣だというのか?」

その者はこう答えた。「私はもともと民間にいた者なので、具体的に誰が佞臣かまでは分かりません。そこでお願いがあります。どうか陛下が怒ったふりをして、臣下たちの反応を試してください。もし陛下の雷のような怒りを恐れずに、あくまでも自分の信じる正しい意見を述べる者がいれば、それが正しい忠臣です。逆に、陛下の気持ちに従って口先だけを合わせる者がいれば、それこそが佞臣です」

太宗はこの話を封徳彝に語り、次のように述べた。

「川の水が清らかか濁っているかは、その水源にかかっている。君主は国家政治の水源であり、人民はその流れにあたる。君主たる私が自ら偽りをもって臣下に接しておきながら、臣下には正直さを求めるというのは、まるで濁った水源から清らかな流れが生まれることを期待するようなもので、道理に反することだ。

私は常に魏の武帝・曹操は嘘や策略を多く用いたので、その人柄を軽蔑している。したがって、このような偽りによる試しごとを行うという意見には、耐え難い嫌悪を覚える」

そして太宗は、その上奏した者にこう告げた。

「私は、真実の信義が天下に行き渡ることを願っている。決して、偽りや策略で民を教化しようとは思わない。そなたの言うことにも一理はあるが、私はその方法を採用することはできない」


■注釈・解説

  • 誠信:「誠」と「信」はともに「まこと」を意味し、「誠」は心に偽りのないこと、「信」は言葉と行動が一致していること。あわせて「誠信」とは、「心からの真心とそれに伴う行動の一致」と言える。
  • 水源と川:太宗の比喩は、リーダーである君主の姿勢や行動がそのまま臣下や人民の在り方に反映されるという「政道の原則」を示すもの。上に立つ者が真っ直ぐであれば、下もそれに従い清くなるという考え。
  • 魏の武帝・曹操:戦略家として有名だが、儒家からは「詐(いつわり)多き人」とされ、誠実さに欠けると批判された人物。そのような人物像と対照的に、自らは「大信」をもって治めようとする太宗の姿勢が強調されている。
  • 試す政治の否定:太宗は「怒ったふりをして臣下を試す」という提案を拒否し、「信」に基づく統治を志向している。リーダーは臣下を信じることで、はじめて臣下の信を得られるという思想。
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