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第五章 娘の嫁入りに対する諫言に皇后が感動


現代語訳

貞観六年(632年)、太宗の娘・長楽公主が嫁ぐことになった。
太宗は、役人に命じて「姉妹にあたる長公主が嫁いだときの倍の嫁入り支度を用意せよ」と指示した。

この命令を聞いた魏徴が、太宗に上奏した。

「昔、後漢の明帝が自分の息子を諸侯に封じようとした時、
明帝は『私の子を、先帝(父)時代に封建された王たちと同列に扱うことはできない。
だから楚王や淮陽王の半分の収入にせよ』と命じました。これは史書にも美談として記録されています。

皇帝の姉妹は“長公主”、娘は“公主”と呼ばれます。
“長”という字がついている分、位としては公主より上です。
愛情においては娘の方がかわいいと思われるのも無理はありませんが、礼の制度に私情を挟むのは道理に反します

もし、公主の嫁入りが長公主を上回るようでは、制度の順序が崩れてしまいます。
どうかよくご考慮くださいませ。」

太宗は「尤もだ」と納得し、この話を文徳皇后に伝えた。

すると皇后は深く感嘆し、こう語った。

「私は、かねてより陛下が魏徴を重んじておられる理由が分かりませんでした。
でも今はよく理解できました。
魏徴は、道義によって君主の感情を制御できる、本当の“社稷の臣”です

私は15歳で陛下と結婚してから、ずっと厚く遇され、夫婦の情も深いものがあります。
それでも、何か意見を申し上げようとするときには、まず陛下の顔色をうかがい、気軽に威厳を侵すことなどできません
それなのに、臣下はもっと関係が遠く、なおさら難しい立場です。

『韓非子』にはこれを“説難(せつなん)”と呼び、
東方朔もその困難さを嘆いています。

忠言というものは耳には痛いですが、行動には益があり、国を守る上で最も重要です。
これを受け入れれば政治は安定し、拒めば乱れます。
どうか陛下には今後もこのような忠言を大切にしてくださいませ。
それこそ、天下の幸いです。」

その後、皇后は使者を遣わして、魏徴に絹五百疋を賜った。


注釈と背景

  • 長楽公主:太宗と文徳皇后の間に生まれた娘。唐代でも特に愛された公主の一人。
  • 長公主:皇帝の姉妹。制度上は「公主(皇帝の娘)」よりも格式が上。
  • 漢の明帝の故事:私情よりも礼制度を優先する明帝の賢明さを示すエピソード。魏徴の引用で、**「制度を私情で乱してはならない」**という核心を支える根拠。
  • 韓非子の「説難」:君主に進言することの難しさを論じた名篇。
  • 東方朔:漢の武帝に仕えた才人。自由闊達な進言を行ったが、その苦労も記している。

心得

本章から得られる教訓は、次の通りです。

1. 制度の秩序は私情より優先されるべき

たとえ皇帝であっても、制度上の秩序(例:位階・儀礼)を乱してはならないというのが魏徴の主張です。
「娘がかわいいから」という個人的感情を押さえて公的秩序を守る――これはリーダーの器量を示す行為です。

2. 忠臣は「感情」より「理」を語る者

魏徴は太宗の感情に寄り添いながら、道理をもって進言しています。
真の忠義とは、耳に痛くとも正義に基づいた諫言をする勇気と、それを受け入れる度量から生まれるのです。

3. 皇后の見識と慎み深さ

文徳皇后は、感情に走らず、制度の維持と忠臣の進言の価値を深く理解しています
皇后の「顔色をうかがってしまう」との発言には、君主への敬意と身を慎む姿勢が見られ、リーダーの伴侶に求められる姿でもあります。


まとめ

「制度を守ることは、感情に勝る」
「忠言は耳に痛くても、国に益する」
「忠臣と良君主・賢き后の三位一体が、国を支える」

魏徴・太宗・文徳皇后の三者が見せたこのやり取りは、
公私のバランス・忠言の価値・女性の政治的見識という点で、現代にも通じる指導哲学です。

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