現代語訳
貞観二年(628年)、太宗は房玄齢ら側近に語った。
「最近、隋の時代を知る年配者たちが口をそろえて『高 **(※高熲と思われる)こそ良き宰相だった』と言っているのを聞き、私も彼の列伝を読んでみた。
そこには、彼がいかに公正・率直で、政治の核心を深く理解した人物であったかが記されており、まさに隋王朝の命運は彼にかかっていたと言っても過言ではないと感じた。だが、煬帝は無道で、高 **を逆心の者と決めつけて誅殺してしまった。高 **のことを思うと、思わず書物を閉じてため息をつかずにはいられなかった。
また、漢魏の時代の蜀の丞相・諸葛亮も、公正で誠実な政治家であった。廖立と李厳という官僚を左遷させたにもかかわらず、彼らは諸葛亮の死を聞いて深く嘆き悲しんだ。
廖立は『孔明がいなければ、自分は粗野な人間になる』と泣き、李厳は悲しみのあまり病に倒れたという。陳寿も『諸葛亮の政治は、心を開いて公正を尽くし、忠義を果たして国に益をもたらした者はたとえ敵でも賞し、法を犯した者はたとえ親しい間柄でも罰した』と賞賛している。
卿らもこのような名宰相を目指すべきではないか。私は常に、歴代の明君に倣いたいと願っている。ゆえに、そなたたちも名宰相を手本にしてほしい。そうすれば、そなたたちの名声や地位はきっと長く保たれるだろう。」
これを聞いて、房玄齢はこう答えた。
「私が聞くところによれば、国をよく治めるには、公平と正直を根本とすべきとのことです。
『書経』洪範篇にも、『王道は、偏りもなく、贔屓もなく、広くて平らである』とあります。
また孔子も、『正直な者を起用し、邪悪な者を退ければ、民は自然に従う』と述べています。陛下のご発言は、まさに政道の根本を突くものであり、公平無私の理にかなっており、国家を統一し天下を導くに十分な考え方です。」
太宗はうなずいて言った。
「それこそ、私の心のうちに常にある想いである。話し合ったからには、実行しなければ意味がない」
注釈と背景
- 高熲(こうけい):隋の文帝に仕えた名宰相。文武に通じ、公平で清廉な人物だったが、煬帝の猜疑によって誅殺された。太宗は高熲の悲劇に感銘を受けた。
- 諸葛亮:蜀漢の丞相。剛直な政治家として知られ、私情を挟まず賞罰を明確にしたことで有名。
- 廖立・李厳:いずれも諸葛亮に処分されたが、死後に彼の人格と政治の公正さを深く敬った。
- 書経・洪範篇:古典の政治思想書における王道の理想像を示す。「蕩蕩」とは広くゆったりとして偏りがない様をいう。
- 孔子の言葉(論語):「正直な者を登用し、曲がった者を排除すれば、人民は従うようになる」とされ、政治の公正を基本とする思想の根拠となる。
心得
本章の要点は、以下の3点に集約されます。
1. 私情を排した公平な政治
太宗は、高熲や諸葛亮といった名宰相に共通するのが、「公と私の線引きを明確にしたこと」であると捉えています。
これは、組織の長が「身内びいき」や「私怨」などを持ち込めば、組織全体の風紀が乱れるという警告でもあります。
2. 理想像は歴史に学べ
自らを名君に、臣下を名宰相に倣わせようとする太宗の姿勢は、リーダーに求められる理想的な自省態度です。
歴史の成功例や失敗例を学び、今に活かす意識が強く示されています。
3. 公正な統治は賞罰の明確さから生まれる
諸葛亮が「敵でも功績があれば褒め、親しくても罪があれば罰する」という姿勢を貫いた点は、賞罰の公平性こそが信頼の基礎であることを教えています。
今日の行政や企業経営にも通じる普遍的な原則です。
まとめ
「昔の名宰相のように、賞罰に私情を挟まず、公正と誠実をもって政を行え。そうすればその名は後世に残る」
——この太宗の教えは、あらゆる組織におけるリーダーシップの基本原則と言えるでしょう。
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