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親は実の親だけではない――房玄齢の継母孝行

唐の名臣房玄齢(ぼう げんれい)は、実母ではなく継母に仕えていたが、
その態度は、実の親に対するものとなんら変わらず、むしろ人並み以上に誠実であった。

継母が病気になると、玄齢は医者が来るたびに門まで出迎え、涙を流して礼を尽くした
医者に対する礼節は、自分の苦しみよりも母の安寧を願う**「孝のかたち」**であった。

しかし、継母は亡くなってしまう。
玄齢は深く悲しみ、喪に服して骨と皮ばかりになるほどやせ衰えた

それを見た太宗は、彼の状態を案じ、**散騎常侍(さんきじょうじ)劉洎(りゅう き)**を遣わし、こう命じた。

「喪中とはいえ、床に伏し、粥を食し、
必要であれば塩味の野菜も取るようにと伝えてくれ」

これは、喪に殉じるだけでなく、生きることで孝を貫くようにという太宗の温かな配慮であった。


引用(ふりがな付き)

「醫人(いじん)門に至るに、必ず拜(はい)して垂泣(すいきゅう)す」
「柴毀(さいき)に尤(もっと)も甚(はなは)だし」
「寢床(しんしょう)し、粥食(しゅくし)、鹽菜(えんさい)を勧む」


注釈

  • 以色養(いしょくよう):笑顔をもって親をいたわること。儒教における孝行の基本形。
  • 柴毀(さいき):喪に服する際、粗末な柴の上に寝起きして、身体を損なうほど悲しむ行為。
  • 鹽菜(えんさい):塩味の漬け野菜。粥と並んで慎ましい食事の象徴。

心得

「親の情は血だけではない。心を尽くして仕えることが孝である」

親孝行とは、実の親に限らず、関係性に誠を尽くす姿に現れる。
立場や義理を超えて**「孝の実践」**を貫くことこそ、人としての徳の証である。

周囲が気づくほどの誠実さは、やがて他者の心を動かし、善政や信頼を生む。

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