貞観十一年、太宗は後漢の忠臣・**楊震(ようしん)**の墓を訪れた。
楊震はかつて太尉(最高位の大臣)を務め、清廉かつ剛直な人物として知られていたが、冤罪により早世した。
太宗はその忠義に心を打たれ、「忠を尽くしたにもかかわらず天命を全うできなかったこと」を哀れみ、自ら追悼の文をしたためて、楊震の霊を祭った。
これを目の当たりにした房玄齢は、感動をもって進み出て言った。
「楊震は、生前に正しく評価されず、無念の死を遂げましたが、数百年を経た今、聖明なる陛下に出会い、その霊前に車を止めて、みずから文を捧げられました。
この御恩により、楊震の魂も黄泉の国で喜んでいるに違いありません。
また、この御製の祭文を読んだ我々も深く感服し、心が慰められました。
朝廷の人々も皆、節義を守り善をなす者には、必ず報いがあると知ったはずです」
引用(ふりがな付き)
「雖(いえど)も死(し)すと雖(いえ)ども生(せい)あり、没(ぼつ)すといえども朽(く)ちず」
「焉(いず)くんぞ名節(めいせつ)を勗勵(きょくれい)せざるを得んや」
「知(し)らん、善(ぜん)を為(な)すに効(こう)有(あ)りと」
注釈
- 楊震(よう・しん):後漢の名臣。清廉潔白で「四知(しち)の戒め」の逸話で有名。冤罪により命を落とした。
- 四知(しち):人の目がなくとも天・地・己・神が見ているという清廉の教え。「我知、汝知、天知、地知」の故事。
- 九泉(きゅうせん):地下の世界、黄泉。死者の魂が眠る場所。
- 伯起(はくき):楊震の字(あざな)。後世の人々が彼をこの名で称した。
パーマリンク(英語スラッグ)
honoring-loyalty-beyond-death
「死しても忠義を称える」姿勢を伝えるスラッグです。
代案として、posthumous-justice
(死後の正義)、legacy-of-virtue
(徳の遺産)などもご提案可能です。
この章は、為政者が過去の忠臣をどのように顕彰するかということが、現在の政道の信頼を左右するという点を強調しています。
楊震を追悼した太宗の行為は、単なる感傷ではなく、忠義の価値を後世に伝え、善行が必ず報われるという道徳的秩序を示したものでした。
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