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忠言は耳に痛くとも、国を救う種となる

太子右庶子・張玄素は、皇太子・李承乾の狩猟と放縦な生活を深く憂い、幾度も書を上げて諫めた。
その言葉は、歴史の教訓に基づき、忠義と真心に貫かれていた。

張玄素は、「天は徳ある者を助け、奢侈と欲に溺れる者は神にも人にも見放される」と警告し、狩猟の本義や学問の必要、師を尊ぶことの大切さを説いた。
また、「悪は小さな芽から育ち、善もまた日々の積み重ねから生まれる」として、日常の行いにこそ気を配るべきだと繰り返し訴えた。

しかし、皇太子は忠言に耳を貸さず、怒りのあまり刺客を差し向けて張玄素を襲わせた。
それでも張玄素は怯むことなく、宮中での浪費、礼儀の欠如、善臣の排除と佞臣の重用などを一つひとつ指摘し、皇太子の徳の欠落と国の危機を訴え続けた。

彼の言葉は、「苦い薬は病に効く、苦い忠言は心を正す」という信念に貫かれている。
そして最後に願ったのは、「安きときにこそ、危うさを忘れてはならない」という一言に集約される。
この忠臣の諫言は、時を越えて為政者に問い続ける。「権力を持つ者こそ、誰の言葉に耳を傾けるべきか」と。


引用(ふりがな付き)

「苦(にが)き薬(くすり)は病(やまい)に利(よ)く、苦(にが)き口(くち)は行(おこな)いに利(よ)し」
「居(お)るに安(やす)くとも危(あや)うきを思(おも)い、日(ひ)を逐(お)いて一日(いちじつ)を慎(つつし)め」


注釈

  • 張玄素(ちょう・げんそ):忠直な太子右庶子。再三にわたる諫言によって命を狙われるが、最後まで節義を貫いた。
  • 三驅(さんく):古代中国の節度ある狩猟の儀礼。徳治の象徴。
  • 傅説(ふえつ):殷の賢臣。学問は古の教訓に学ぶべしと説いた人物。
  • 孔穎達・趙弘智:ともに当代随一の学者。儒学・政治に通じた重臣。
  • 刺客(しかく):暗殺者。太子が玄素を殺そうとした最後の策。
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