――若き皇子はまず学び、しかる後に民を治めよ
貞観年間、幼い皇子たちが刺史や都督に任じられることがあった。
これに対して諫議大夫・褚遂良は、「教育なきままの任官は、州民を苦しめる危険がある」と強く諫めた。
刺史とは、単なる名誉職ではなく、民の模範であり統治の実務者である。
良き刺史は黄河の水のように恩を及ぼし、政績は歌に詠まれ、生前に祠を建てられる者さえいた。
だが悪しき刺史が出れば、民は疲弊し、国政の根が揺らぐ。
褚遂良は、皇子が年少であればまず京師に留めて経学を修め、礼法を学び、政務の実務や儀礼を観察させるべきだと主張した。
学問と体験を積み、その資質を確かめたうえで、はじめて地方の任に就かせるべきだというのが彼の提言である。
漢の明帝・章帝・和帝の三代はいずれも皇族の子弟に恩恵を与えながらも、教育を怠らず、都に留めて礼儀を教えた。
結果、数十から百に及ぶ王たちの中で、問題を起こしたのはたった二人だったという。
引用とふりがな(代表)
「刺史(しし)は人の師帥(しすい)たり。人これを仰いで安(やす)しとなす」
――刺史は、道徳と行政の手本となる者である
「年齒(ねんし)いまだ幼ければ、まず京師(けいし)に留め、経学(けいがく)を学ばしむべし」
――若き皇子にまず必要なのは、知識と礼節である
「漢の三帝(さんてい)は、恩に垂れつつ、礼法をもって子弟を教えたり」
――愛だけでなく、規律を与えた名君の例
注釈(簡略)
- 刺史(しし):州の長官。現地での行政・司法・徴税を司る責任ある役職。
- 郡国制(ぐんこくせい):漢代の地方統治制度。郡は中央の直轄地、国は皇族の封地。
- 黄河潤九里(こうがじゅんきゅうり):善政の比喩。良政の影響が都にまで及ぶ意。
- 京師(けいし):都。唐代では長安。
- 三帝(さんてい):後漢の明帝・章帝・和帝。皇族統治における教育の模範とされた。
パーマリンク案(英語スラッグ)
education-before-authority
(権限の前に教育を)train-the-young-prince
(皇子にまず学問を)good-rule-requires-good-rulers
(善政には賢き支配者を)
この章は、地方統治の本質と、統治者たる者に求められる資質の在り方を明確にしています。
太宗がこの意見を受け入れたことは、唐王朝の政治における「徳」と「実務」の重視を裏付ける好例といえるでしょう。
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