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師を見ること、すなわち君を見ること

――親王には、父に接するように師を敬わせよ

太宗は、親王が身を崩すのを防ぐためには、日々の教育と態度が肝要であると考えた。
とくに魏王・李泰の補導役には、忠直で志高い王珪を任命し、その接し方についてまで細かく指示した。
「王珪に会うときは、私と会っていると思って、最大の敬意を払うように」と。

王珪は、師としての自覚をもって職務に臨み、当時の人々の評価も非常に高かった。
太宗は、帝王の子が驕慢に育ちやすいことを熟知しており、師を介した人格教育こそが王子たちの将来を左右すると見抜いていた。

師は単なる教師ではない――
それは、親に代わり、主君に代わる存在。
そのように接してこそ、教育は真に実を結ぶ。


引用とふりがな(代表)

「毎(つね)に王珪(おうけい)に対(たい)するときは、我(われ)を見るがごとくせよ」
――師に接することは、父に接するがごとく

「加(くわ)えて敬(けい)を宜(よろ)しくし、怠(おこた)ること無(な)かれ」
――尊敬をもって、決して気を緩めるな


注釈(簡略)

  • 王珪(おうけい):唐の名臣。忠直にして誠実、補導役として理想的な人物とされた。
  • 魏王・李泰(ぎおう・りたい):太宗の子。文才がありながらも、その野心や傲慢さが問題視されたこともある。
  • 房玄齢(ぼうげんれい):太宗の腹心にして名宰相。ここでは皇命を伝える役を担う。
  • 傾危(けいき):身を崩し、地位や名誉を失うこと。王子たちが陥りやすい末路を意味する。
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