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望まぬ野心より、安らぎの分別を

――親王にはその位にふさわしい生き方を

太宗は、愛する子・呉王李恪に対しても、あえて都から遠ざけ、地方の長官とした。
それは、親として共にいたいという情よりも、国家の秩序を優先する君主としての決断だった。

兄弟同士が皇位をめぐって争うことがないよう、若いうちから「定分」――立場をわきまえる心得を養わせようとしたのである。
皇太子の座は、一族の誰でも望んでよいものではない。
血筋や才能の前に、まずは自らの位置と役割を弁えること。それが、家を、そして国を安んじる。


引用とふりがな(代表)

「且(か)つ其(そ)の早(はや)く定分(ていぶん)有らしめ、覬覦(きゆ)の心無からしめ、我(わ)が百年の後(のち)、其の兄弟(けいてい)をして危害(きがい)の患(うれ)い無からしめんと欲す」
――わが死後も兄弟間に争いが起きぬよう、若いうちから立場をわきまえさせたい


注釈(簡略)

  • 定分(ていぶん):身分に応じた節度ある立ち居振る舞い。
  • 覬覦(きゆ):本来望んではならない地位や権力を狙うこと。僭越な野心。
  • 藩屛(はんぺい):地方を守る藩鎮。皇族や重臣が都から離れて担うべき任務。
  • 百年後(ひゃくねんご):自身の死後を指す婉曲表現。君主の立場からの未来への配慮。
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