—耳に痛い言葉にこそ、真の鏡がある
太宗はある日、魏徴に「近ごろの政治の良し悪し」について問うた。魏徴は、威信と功績は初期をはるかに凌ぐ一方で、民心の帰順や徳義の浸透はむしろ劣っていると率直に答える。そして、最も変化したのは「諫言への態度」だと指摘する。
かつて太宗は、諫言を待ち望み、進んで受け入れ、それを喜び褒賞までも与えた。
しかし近年では、言葉では受け入れても、内心には不快の色が見え始めていると。
魏徴は、具体例として3つの事例(孫伏伽、戴冑、皇甫徳参)を挙げながら、太宗の姿勢の変遷を示した。太宗はその諫めに心を打たれ、「人は自分の誤りに気づけないものだ。そなたのような者がいてこそ、君主は我が身を正すことができる」と深く感謝した。
原文(ふりがな付き引用)
「貞観(じょうがん)之初(しょ)、人(ひと)言(い)わざるを恐(おそ)れ、之(これ)をして諫(いさ)めしむ。
三年已後(いご)、人(ひと)の諫(いさ)むるを見(み)て、悦(よろこ)びて之(これ)に従(したが)う。
一二年來(このごろ)、人(ひと)の諫(いさ)むるを悦(よろこ)ばず。黽勉(べんめん)して聴受(ちょうじゅ)すと雖(いえど)も、意(こころ)に於(お)いて甚(はなは)だ難色(なんしょく)有(あ)り」
注釈
- 黽勉(べんめん):努力して取り繕うさま。しぶしぶ受け入れる姿勢。
- 難色(なんしょく):顔に出る不快の表情。内心の不満や拒否感の表れ。
- 誹謗(ひぼう)と激切(げきせつ):厳しい諫言は、しばしば誹謗と誤解されやすい。しかしそれこそが本当の忠言であるという警句。
教訓の核心
- 真の諫言は、耳に痛くとも受け止めるべき道理の声である。
- 諫言に心から従うことができるか否かが、君主の徳の深さを決定づける。
- 変化に気づかぬのが最大の危機であり、忠臣の言葉こそがその鏡となる。
- 過去の良き態度を保ち続けることが、徳の深化に不可欠である。
3つの具体例と意味
事例 | 内容 | 太宗の姿勢 | 評価 |
---|---|---|---|
孫伏伽 | 法に従い死刑を諫止 | 喜んで受け入れ、褒賞 | 諫言を喜んだ例 |
戴冑 | 柳雄の徒刑相当を主張 | 怒るも最終的に法を重んじて容認 | 理に従った例 |
皇甫徳参 | 上奏が痛烈すぎると誤解 | 外面上は受け入れ、内心は不快 | 諫言を嫌がった例 |
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