—統治に境界を設ければ、誤りも見逃される
尚書省の房玄齢と高士廉が宮城北門の工事について質問したところ、太宗は「南衙の政だけを管轄すればよい」と叱責した。しかし魏徴は、「それでは忠臣の職務を果たせない」と進言する。
大臣とは、君主の手足・耳目であり、善き行いには力を添え、誤った道には諫めるのが務め。場所が北門であろうと、政であろうと、君の行いに関わる以上、黙っていることは忠ではない。
太宗はこの言葉に深く恥じ入り、誤りを認めた。
原文(ふりがな付き引用)
「玄齡(げんれい)はすでに大臣(だいじん)に任(にん)ぜられ、すなわち陛下(へいか)の股肱耳目(ここうじもく)なり。
有(あ)るに営作(えいさく)あれば、何(いか)んぞ知(し)らざるを容(い)れん。
責(せ)めて其(そ)の官司(かんし)を訪問(ほうもん)するを、臣(しん)これを解(かい)せず。
…
君(きみ)臣(しん)の道(みち)とは、君(きみ)は臣(しん)を使(つか)い、臣(しん)は君(きみ)に事(つか)うる所以(ゆえん)なり」
注釈
- 南衙(なんが)/北衙(ほくが):南衙は公的政務機関、北衙は皇帝の私的領域(禁中)。本章では“政”と“私”の象徴。
- 股肱耳目(ここうじもく):太子や大臣が、君主にとっての「手足や目耳」であるというたとえ。補佐の役割を指す。
- 営作(えいさく):建造・工事などの物的な施策。
- 官司(かんし):各種官職や担当部署を指す。
教訓の核心
- 公務と私事の境を設けてしまえば、誤った判断が是正されずに進んでしまう。
- 臣下が本分を果たさぬまま君主に従えば、それは忠誠ではなく怠慢である。
- 君主の側も、臣の指摘を封じるようでは国を誤る。
- 統治とは、君臣が一体となって真理と善を追求する営みである。
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