—たとえ一人の娘の縁談であっても
皇帝であっても、民の幸福を顧みずに自らの欲を優先すれば、たちまち徳は損なわれる。
太宗が美しい娘を後宮に召そうとしたとき、魏徴はその娘がすでに婚約していると聞き、ためらうことなく進言した。「人民の喜びを奪うことが、民の父母たる君主のすることですか」と。
太宗はこれを聞いて深く反省し、詔勅を取り消して娘を婚約者の元へ返した。たとえ事実が曖昧であっても、民の心に寄り添おうとする姿勢こそが、真に人を治める者の道である。
原文(ふりがな付き引用)
「陛下(へいか)は人(ひと)の父母(ふぼ)と為(な)り、百姓(ひゃくせい)を撫愛(ぶあい)す。
其(そ)の憂(うれ)いを憂(うれ)い、其(そ)の楽(たの)しみを楽(たの)しむべし。
…
今(いま)鄭氏(ていし)の女(むすめ)、久(ひさ)しく人(ひと)に許(ゆる)す。
陛下(へいか)これを取(と)るに疑(うたが)わず、問(と)いを致(いた)さずして四海(しかい)に播(は)す。
これ、民(たみ)の父母(ふぼ)と為(な)すの道(みち)なるか。
…
君(きみ)の挙(あ)げる所(ところ)は必(かなら)ず書(しょ)せらる。
願(ねが)わくは特(とく)に神慮(しんりょ)を留(とど)めたまえ」
注釈
- 父母(ふぼ):統治者の理想的姿。「親のように民を慈しむ」ことの象徴。
- 充華(じゅうか):後宮における妃嬪の位の一つ。詔により任命される。
- 四海に播す:全国に知れわたる。君主の行いが世に影響を与えることの重大性を示す。
- 君挙必書(きみのあぐるところはかならずしょす):為政者の言動はすべて記録され、後世に残るという警句。
教訓の核心
- 徳治とは、小さな事柄にこそ本質があらわれる。
- 権力を用いて私欲を満たすことの危うさ。
- 民の声なき不安に気づき、未然にその心を救うのが真の為政者。
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