背景と場面
貞観年間初期、太宗が王珪と談話している最中、宮中に仕える美人が側に控えていました。彼女は、太宗の一族である廬江王李瑗(りえん)の妻でしたが、李瑗が謀反を起こして敗北したため、その妻が没収され宮中に入っていたのです。
太宗は李瑗の行為(他人の妻を奪う暴虐)を非難しますが、王珪はすかさず次のように問い返します:
「陛下は、その行為が正しいとお考えか、それとも非道だとお考えですか?」
太宗がそれを非道と答えると、王珪は「それならば、どうしてその婦人を未だにそばに置いているのですか」と指摘。さらに『管子』から郭国滅亡の逸話を引用して、
「悪と知りながら改めないのは、まさに滅亡を招く姿勢です」
と、制度と倫理の整合性を鋭く突きます。
太宗の反応と結末
この王珪の諫言に、太宗は「至善(至高の善)」と称え、すぐにその婦人を親族のもとに帰しました。
これは単なる道徳論ではなく、皇帝自身の振る舞いが天下の範となるという国家観を反映した重要な判断です。
思想的意義と現代的含意
君主の倫理観
太宗は「他人の妻を奪うのは不義である」とは口にしたものの、自らが同様の立場にあったことには無自覚でした。それを、王珪は「言行不一致」「知っていて改めない態度」として厳しく批判しています。
忠臣の役割
王珪の発言は、君主に対してすら怯むことなく、筋道を立てて誠実に諫言する「理の通った忠誠」の模範です。しかも、ただ否定するだけではなく、典拠(『管子』)を用いて諭し、「制度と道徳の一致」を求めています。
君主の応答力
太宗はそれを素直に受け入れ、自らの誤りを正します。これは、後に彼が「魏徴は明鏡のごとし」と称えるように、自省できるリーダーの理想像を体現するエピソードの一つです。
まとめ
この章は、以下のような複数の要素を含んだ重要なテキストです:
- 倫理判断と行動の一致性の重要性
- 臣下の進言の意味と価値
- 君主の柔軟な姿勢と率直な自己修正能力
現代の組織や政治においても、「正論が通る風通しの良さ」「制度と運用の整合性」「ポジションに依らない倫理的な行動」が、健全な運営の要であるという普遍的な教訓を与えています。
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