この章では、太宗が諫議大夫の褚遂良に問うかたちで、「贅沢や過ちの“はじまり”をどう扱うべきか」という非常に現代的なテーマを論じています。些細な兆候でも見逃さず、国家の安寧を守ろうとする強いリーダーシップと謙虚さが表れています。
1. 舜と禹の逸話にみる「贅沢の芽」
太宗の問いかけは、古典的な逸話から始まります:
「舜が漆器を作り、禹がまな板に彫刻したところを、当時十人以上が諫めたとある。食器程度のことで、どうしてそこまで?」
この問いに対し、褚遂良は的確に答えます。
「贅沢の第一歩が危機の始まりである。漆器に満足しなければ金器へ、金器に満足しなければ玉器へと、欲望はエスカレートする」
これは、初期の逸脱が後の堕落につながるという、人間心理と国家運営への深い洞察です。現代のコンプライアンスや組織のガバナンスにも通じる重要な論点です。
2. 「漸(ぜん)」という概念──兆しにこそ目を光らせよ
褚遂良の言葉に出てくる「漸(ぜん)」という語は、「ゆるやかに進行する初期段階」「兆し」という意味で、ここでは問題が本格化する前の初動を指しています。
彼の主張は明快です:
「諫め役はその“漸”を諫めるものだ。事が満ち溢れてからでは、もはや止めることはできない」
この視点は、国家だけでなく企業、教育、家庭などあらゆる社会組織に応用できる教訓です。問題は小さなうちに、兆しのうちに処置せよという、極めて予防的かつ戦略的な姿勢です。
3. 太宗の受容姿勢とリーダーの責任意識
褚遂良の答えを聞いた太宗は即座に賛同し、次のように語ります:
「私の為すことに不当があれば、それが始まりであろうと終わりであろうと、必ず諫言してほしい」
さらに、歴史の教訓を引き合いに出します。
「過去の皇帝は『もう許可してしまった』『すでに着手してしまった』と理由をつけて改めなかった。だから国は滅びたのだ」
この言葉からは、太宗の**「最善を尽くすことを妨げる最大の敵は、“今さら変えられない”という思考停止だ」**という危機感が伝わってきます。
4. 現代に通じる教訓
この章の教えは、現代においても非常に有効です:
- 組織や社会において、問題が本格化する前に「兆し」を捉えて対処する文化を持つこと
- 「もう始めたから」「決裁したから」といった“変更の困難性”に逃げず、正すことを優先するリーダーシップ
- 些細な逸脱でも、信頼できる“逆鱗に触れることを恐れぬ諫言者”を傍らに置く体制
これはまさに、現代の危機管理、品質管理、経営管理に求められる理想像です。
総評:兆しを見逃さない政道の鏡
この章で描かれる太宗と褚遂良の対話は、「治にいて乱を忘れず」という姿勢の具現です。小さな贅沢、わずかな緩み、無意識の逸脱──それらを正しく見極め、始まりのうちに断つ。そのためにこそ、君主には忠臣が、組織には内部通報者や良き参謀が必要なのです。
歴史を語りながら、未来の組織論を照らすような一章と言えるでしょう。
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