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第九章 人の才覚はそれぞれ異なる

この章では、「なぜ官僚たちは諫言しないのか?」という太宗の率直な問いかけに対し、魏徴が実に洞察に満ちた回答を行い、太宗が深く理解を示す様子が描かれます。これは進言文化の難しさと、それを乗り越えるためのリーダーシップのあり方に関する非常に重要な一篇です。


1. 太宗の問題提起:「なぜ誰も意見を言わないのか?」

貞観十五年、太宗は魏徴にこう尋ねます。

「このごろ、朝廷の官僚たちが政治について意見を言わないのは、なぜだろうか」

この問いは、進言の沈黙現象を鋭く突いたもので、現代でいう「イエスマンばかりになる組織」のリスクを懸念したものです。太宗は、開かれた姿勢を保っているのに、なぜ進言がないのか──そのギャップに向き合おうとしています。


2. 魏徴の洞察:意見が出ない本質的理由

魏徴は、まず太宗の姿勢を評価しながら、こう説明します:

「人の才覚というものは、それぞれ異なっています」

ここで魏徴は、人間の性格や置かれた立場によって、進言のしにくさがあることを丁寧に分解して説明します:

  • 懦弱な者(気が小さい人):忠義心はあっても、勇気がなくて口に出せない
  • 疎遠な者(あまり親しくない人):信頼がないと、自分の意見を言うことが憚られる
  • 出世を望む者:自分の不利益を恐れて、あえて進言しない

そして、このような状況が**「全員が黙り、周囲に合わせて日々をやり過ごす」**という空気を生み出していると指摘します。


3. 太宗の理解と自省

魏徴の説明に太宗は強く同意します。彼は、忠臣が進言をためらう状況をこう表現します:

「忠臣が君主を諫めようとすれば、それは釜ゆでの刑や白刃に突っ込むのと同じだ」

この言葉は、忠言がいかに重い決意を伴うか、そしてそれに対して君主がいかに寛容な器量を持たねばならないかを、痛切に自覚していることを示します。

そしてさらにこう語ります:

「私は今、心を開いて諫言を受け入れている。いたずらに恐れて意を尽くさないということがないように」

これは、単なる建前ではなく、臣下の「沈黙の理由」に共感し、それでもなお諫言してほしいという切実な願いです。


4. 現代への示唆:リーダーと組織における「沈黙の構造」

この章は、現代の組織運営にも極めて示唆的です。たとえば:

  • なぜ部下が意見を言わなくなるのか?
  • 上司が「いつでも言ってくれ」と言っても、空気が萎縮していたら機能しない
  • 意見を言うことが損になるような制度や文化がある限り、沈黙は続く

魏徴の指摘するように、制度の問題ではなく、人の性質や感情のレベルで進言は妨げられるのです。だからこそ、リーダーはそこまで掘り下げて信頼環境をつくる必要があります。


総評

この章は、**「進言の沈黙」と「組織の硬直化」**に対する処方箋を、太宗と魏徴の対話を通じて深く掘り下げています。

  • 魏徴は、人の性格や動機を丁寧に分析し、
  • 太宗は、それを受け入れて自らの態度をさらに明確にする

この誠実なやり取りは、「貞観の治」が制度によってではなく、信頼と対話によって築かれたことを象徴する場面でもあります。

ありがとうございます。以下にご提示の『貞観政要』より、貞観十五年の太宗と魏徴の問答について、所定の構成に基づいて整理いたします。


目次

『貞観政要』より(貞観十五年 太宗と魏徴の問答)


1. 原文:

貞觀十五年、太宗問魏徵曰
「比來、臣都不論事、何也」。
徵對曰
「陛下虚心納諫、宜有言者。然古人云『未信而諫、則以爲謗己』。信而不諫、則謂之尸祿。
但人之才器、各有不同。懦弱之人、懷忠直而不能言。疏遠之人、不信而不得言。
懷祿之人、慮不便身而不敢言。由是相與緘默、俛仰終日」。
太宗曰
「誠如卿言。朕每思之、人臣欲諫、輒懼死亡之禍、與夫赴鼎鑊、炙膚粉骨、亦何異哉。
故忠貞之臣、非不欲竭誠。竭誠者、乃是極難之事也。昔禹拜昌言、豈不爲此耶。
今朕開懷納諫、卿等無勞怖懼、宜極言無隱。」


2. 書き下し文:

貞観十五年、太宗、魏徴に問いて曰く、
「このごろ、臣下たちが何も諫言をしないのは、どうしたことか?」

魏徴、対えて曰く、
「陛下は虚心に諫言を受け入れられる方ですから、本来なら発言する者があって然るべきです。
しかし古人は言いました、
『信頼される前に諫めれば、それは誹謗と取られる。信頼されていて諫めなければ、それは禄を食むばかりの無為の人である』と。

ただ、人にはそれぞれ資質があります。
臆病な者は、忠義を持っていても言葉に出せません。
関係が疎遠な者は、信頼がないため口にできません。
保身を図る者は、自らに不利を恐れて発言しません。
かくして皆、沈黙し、顔色を伺いながら一日を過ごしているのです。」

太宗曰く、
「まったく卿の言う通りである。私もよく考えるが、臣が諫めようとしても、死を恐れ、まるで釜に飛び込むような苦しみであろう。
忠義の臣が心を尽くさないのではなく、尽くすことがこの上なく難しいのだ。
かつて禹が率直な諫言に対して礼をもって応じたのは、このためであろう。
今、朕は心を開き諫言を受け入れる。卿たちは怖れることなく、極言して隠すことなくあれ。」


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳):

  • 「このごろ、臣たちが何も言わなくなった。なぜだろうか?」
     → 太宗が魏徴に問いかける。「最近、諫言が少ないのはなぜか?」
  • 「陛下は耳を開かれ、諫言を受け入れる器をお持ちです。本来であれば進言すべき者が多いはずです。」
  • 「しかし古人はこう言いました。『信頼されていない段階で諫めれば、それは中傷と思われる。信頼されていながら何も言わなければ、それは怠慢な寄生者である』と。」
  • 「人それぞれ性格や能力が異なります。臆病な人は、誠実さを持っていても言い出せず、関係の薄い者は信頼がなくて言えず、保身を重んじる者は自らに害が及ぶのを恐れて黙っています。」
  • 「このようにして皆、黙り込み、うつむき加減に一日をやり過ごしているのです。」
  • 「確かにその通りだ。私も考えるのだが、進言しようとする臣は、死罪になることを恐れ、それはまるで熱湯の釜に飛び込むような苦しみではないか。」
  • 「忠義ある臣が心を尽くさないのではなく、心を尽くすことそのものが困難なのだ。」
  • 「禹が直言を礼として受け入れたのも、そうした理由があったからだろう。」
  • 「今、私は心を開いて意見を受け入れる。だから、そなたたちは恐れることなく、思う存分に進言してよい。」

4. 用語解説:

  • 虚心納諫(きょしん・のうかん):偏見なく心を開いて忠告を受け入れる姿勢。
  • 尸禄(しろく):禄(報酬)を受けながら職務を果たさず、何も働かない人間。
  • 懦弱(だじゃく):臆病なこと。勇気がなく、正しいとわかっていても言い出せない性質。
  • 疏遠(そえん):親しくない、距離があること。君主から遠い存在。
  • 懷祿(かいろく):自分の地位や報酬を守ることばかり考え、正論を避ける態度。
  • 俛仰(ふんぎょう):顔色を伺ってうつむいたり仰いだりする態度。おもねり、沈黙の比喩。
  • 鼎鑊(ていかく):古代中国で死刑に使われた釜や鍋。進言の困難さを死の危険になぞらえた言葉。
  • 極言(きょくげん):遠慮なく核心を突く、強く訴える発言。

5. 全体の現代語訳(まとめ):

貞観十五年、太宗は魏徴に「最近、誰も諫言をしなくなったのはなぜか?」と尋ねた。
魏徴は、「陛下は寛大で耳を開いておられますが、人々は臆病だったり、信頼がなかったり、保身のためだったりして、言いたいことを口にできないのです。
その結果、皆が沈黙し、顔色をうかがってばかりの毎日となっております」と答えた。

太宗はこれを聞いて、「人が進言を恐れるのは、まるで死刑に直面するような苦しみなのだろう。心を尽くすのが難しいのはよくわかる。
だからこそ、私は心を開いて進言を歓迎したい。遠慮なく言ってほしい」と語った。


6. 解釈と現代的意義:

この章句は、**「心理的安全性の重要性」**を示した名場面です。
魏徴は、人が進言をためらう理由を丁寧に分析しています。
臆病、信頼の欠如、保身──これは現代の組織でもよく見られる現象です。

太宗は、進言を恐れる者を責めるのではなく、「それほどまでに難しいのだ」と理解し、あらためて「私は進言を歓迎する」と宣言します。
これはリーダーにとっての聴く覚悟、反応の重要性を表した教訓です。


7. ビジネスにおける解釈と適用:

✅「黙っている部下を責める前に、なぜ言えないのかを見よ」

人は、臆病だから言えないのではない。信頼がない、もしくは発言にリスクを感じているから黙っている。

✅「発言は、許される空気と受け止める態度から生まれる」

「意見があれば言え」ではなく、「言ってもいい」と思える文化が必要。太宗のように、心を開いて歓迎する姿勢を日々示すこと。

✅「“言いづらさ”に共感できる上司が信頼される」

太宗は“進言は死に等しい苦しみ”と共感する。この姿勢が、部下の心を開かせる鍵となる。


8. ビジネス用心得タイトル:

「沈黙の奥にある真実──意見が出ない職場は、恐怖に満ちている」


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