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第八章 このごろの臣下はビビッている

この章では、君主が臣下にどう向き合うべきか、諫言を促すための心構えとは何かを、太宗が深く自省的に語っています。タイトルにもあるように、臣下たちが皇帝の前で萎縮している様子を見て、太宗は深い懸念を抱いているのです。


1. 太宗の「静坐内省」

章の冒頭では、太宗が次のように述懐します:

「私は、暇で座っている時は、いつも心の中で自問する。
上は天の意志に逆らっていないか、下は民に怨まれていないか、それを恐れるのだ」

この一節は、自己点検と謙虚さの表れであり、君主のあるべき姿勢を見事に示しています。天命に背かず、民心を得ているかを日々考える──このような常時の内省こそが「貞観の治」を実現させた要因でもあります。


2. 臣下の「怯え」を危惧する太宗

太宗は、最近の官僚が自分の前に出ると「怖じ気づき、しどろもどろになる」姿をしばしば目にしていると語ります。

「通常の上奏ですら、ひどく怯えているのだから、ましてや私を諫めようとすれば、きっと逆鱗に触れることを恐れるに違いない」

ここには、君主の威光が諫言を妨げてしまっているという現実があります。太宗は自分が無意識に**「言いにくい雰囲気」**を作っていることを理解しており、これはリーダーとしての高い自己認識の表れです。


3. 「逆鱗に触れても叱らない」という約束

太宗は、自分を諫める者がいたときに、たとえその言葉が気に入らなかったとしても、それを**「自分に逆らった」とは絶対に受け取らない**と明言します。

「私は自分に逆らったとは受けとめない。もし怒って叱責しようものなら、その人は深く恐れおののくだろう。そうなったら、私を諫めようとする者は、もはやいなくなってしまう」

これは単なる感情論ではありません。諫言の文化を制度として成立させるための心理的配慮であり、進言する側が安心して発言できる環境の整備でもあります。


4. リーダーシップの本質

この章は、現代の組織やリーダーにも通じる普遍的な教訓を含んでいます:

  • トップの権威は自然と人を萎縮させるものであることを自覚する
  • 異論・忠言を受け止める度量がなければ、正しい判断は下せない
  • 進言を引き出すためには、言いやすい雰囲気と信頼の土壌を育むことが不可欠

太宗は、まさにこの姿勢を言葉と行動で示した君主です。


総評

この章は、「恐れによって沈黙が広がる」ことの危うさと、それを回避するための太宗の内省と誓いを描いた一篇です。忠臣が忠言を述べるには、君主がそれを受け入れる包容力と信頼関係が欠かせません。太宗のように、自らその障害に目を向け、解消に努める姿勢は、全ての指導者に求められる覚悟と柔軟性の鑑です。

目次

『貞観政要』より

原文:

貞觀八年、太宗謂侍臣曰
「每居靜坐、則自省。恆上不稱天心、下為百姓怨。但思正人匡諫、欲令耳目外聞、下無怨滯。又比見人來奏事者、多有怖慴、言語致失第。常奏事猶如此、況欲諫諍、必當畏犯龍鱗。朕以每有諫者、縱不合朕心、亦不以為忤。若卽嗔責、深令人懷戰懼、豈肯更言。」


書き下し文:

貞観八年、太宗、侍臣に謂(い)いて曰く、
「およそ静かに坐して居るときは、すなわち自らを省(かえり)みる。
常に上(しょう)は天心に称(かな)わず、下は百姓の怨みとなることを恐れる。
ただ正人の匡諫(きょうかん)を思い、耳目の外に聞こえ、下に怨滯(えんたい)無からしめんと欲す。
また近ごろ、奏事に来たる者を見れば、多くは怖慴(ふしょう)して、言語に失がある。
常の奏事すらこの如し、まして諫諍(かんじょう)を欲すること、必ずや龍鱗を犯すを畏れん。
朕は諫する者あれば、たとい朕が心に合わずといえども、これを忤(さから)うとは思わぬ。
もしすぐに嗔責(しんせき)すれば、人をして深く戦懼(せんく)を懐(いだ)かしめ、いかんが更に言わんことを肯(が)えんや。」


現代語訳(逐語・一文ずつ):

  • 「貞観八年、太宗は侍臣に言った」
     → 貞観8年、唐の太宗は側近の臣下に語った。
  • 「私は静かに座っているときには、いつも自分を省みている。」
     → 一人静かに思索するとき、必ず自己反省を行っている。
  • 「常に上(皇帝)として天の意志に適っておらず、下では人民の怨みを買っているのではないかと心配している。」
     → 天命に応えておらず、民衆の不満があるのではと不安になる。
  • 「だからこそ、まっすぐな人に正してもらい、広く意見を取り入れ、下に怨みが残らないようにしたい。」
     → 正しい臣下の諫言に耳を傾け、民の不満を減らしたいと思っている。
  • 「しかし最近、上奏に来た者たちが多く怯え、言葉が乱れているのを見かける。」
     → 近頃は、単なる報告ですら怯えて口がうまく回らない者が多い。
  • 「通常の上奏でさえそうなのだから、ましてや皇帝に意見するようなことは、恐ろしくてできないはずだ。」
     → 進言などは「龍の逆鱗に触れる」ようで、なおさら恐れられている。
  • 「私は、諫言を受けたとしても、たとえそれが私の意に沿わなくとも、それを恨みに思うことはない。」
     → 進言が不快な内容でも、怒ったりしないよう努めている。
  • 「もし私がその場で怒ったり責めたりすれば、人は恐れて二度と意見を言ってくれなくなるではないか。」
     → 嫌な顔を見せてしまえば、誰も再び意見などしなくなるだろう。

用語解説:

  • 自省:自己を反省すること。
  • 天心:天意、天の意思。儒教的には天命・道義。
  • 百姓(ひゃくせい):人民、庶民。
  • 匡諫(きょうかん):正しいことを言って君主を正す忠言。
  • 怨滯(えんたい):恨みが残ること、不満が解消されないこと。
  • 怖慴(ふしょう):おびえて萎縮すること。
  • 奏事:皇帝に報告・提案を行う行為。
  • 諫諍(かんじょう):皇帝に対して忠告・意見を申し述べること。
  • 龍鱗(りゅうりん)を犯す:皇帝を怒らせる、逆鱗に触れる意。
  • 嗔責(しんせき):怒って責めること。
  • 戦懼(せんく):びくびくと恐れおののくこと。

全体の現代語訳(まとめ):

太宗は「私は静かに座っている時、自らを反省している。天の意志に背き、民に恨まれているのではないかと恐れている。だからこそ、正しい者が私を正してくれることを望んでいる。
しかし最近、報告に来る者たちですら怯えて口を間違えるほどだ。通常の報告でもこの有様なら、まして皇帝への意見進言など、誰も恐れてできまい。
私は諫言が自分の気に入らなくても、それを不快に思うことはない。
もしその場で怒って責めたりすれば、人は深く恐れ、もう何も言わなくなるだろう」と語った。


解釈と現代的意義:

この章句は、**「リーダーは進言を受ける器を持たねばならない」**という、統治者としての姿勢を明確に示した名言です。

太宗は自省を重んじ、部下からの進言を奨励していますが、同時に部下の心理的障壁にも敏感です。
「怒らない」「咎めない」ことで、部下が安心して意見を述べられる風土を作ろうとしています。
これこそが、組織における心理的安全性の先駆的な思想といえるでしょう。


ビジネスにおける解釈と適用:

✅「叱らず、聴く器を持て」

上司の反応ひとつで、現場は口を閉ざす。意見が出ない組織は、死に体である。
耳障りな言葉こそ、成長と改善の糧と心得るべき。

✅「進言の第一歩は、安心感から始まる」

会議の空気、上司の表情ひとつで、部下の発言は変わる。
「正しいことを言っても怒られない」という信頼の蓄積が、イノベーションを生む。

✅「指摘に怒らない文化をつくる」

怒りは対話を遮断する。反論するより、受け止める。
勇気を持って進言した者に、感謝を忘れない組織が強い。


ビジネス用心得タイトル:

「意見は“耳障り”ではなく“成長の糧”──進言を歓迎する器が組織を育てる」


ご希望があれば、この一節を中心にした「傾聴型リーダーシップ研修」や「心理的安全性を高める組織文化づくり」への展開も可能です。

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