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第十二章  君主が乱れて臣下が治まる

貞観十六年(642年)、太宗は側近の者たちに言いました。

「上に立つ君主が乱虐であっても、臣下が治まっていることがある。一方で、臣下が乱れていて、君主が治まっているという場合もある。このように、二つのことが食い違っている場合、どちらがよりひどい状態でしょうか?」

特進(正二品身分)の魏徴が答えました。

「君主の心が治まっていれば、臣下の非を見抜くことができます。一人を罰して百人を奨励すれば、威厳を恐れてあえて力を尽くさない者はいないでしょう。しかし、もし上の君主が愚かで暴虐であり、臣下の忠告にも従わなければ、春秋時代の百里奚が虞公を諫めたとしても、また伍子胥が呉王を助けたとしても、災いを取り去ることはできません。その結果、国は滅亡することになるでしょう。」

それに対して、太宗は言いました。

「もし必ずそうであるならば、北斉の文宣帝は愚かで暴虐な君主であったが、臣下の楊遵彦が正しい道で君主を助け、世を治めることができたのはどうしてでしょうか?」

魏徴は答えました。

「楊遵彦は暴君を取り繕い、人民を救済しましたが、大変に危険な目に遭い、苦労しました。君主が厳正公明で、臣下が法を畏れ、真っ向からの忠告がすべて信用されている今の時代とは、決して同じではありません。」


解説

この章では、君主の乱暴な行動と臣下の治績が食い違っている場合の影響について議論されています。魏徴は、君主が正しく治めていれば、臣下も従い、国は治まるという見解を示しました。反対に、君主が愚かで暴虐であれば、どれだけ忠告を受けても国の滅亡は避けられないという厳しい現実を語っています。

しかし、太宗は文宣帝と楊遵彦の例を挙げ、暴君でも臣下の努力次第で国を治めることができるという別の視点を提示します。それに対して魏徴は、現在のように君主が厳格であり、臣下の忠告が信頼される時代と、過去の暴君と臣下の関係を比べるべきではないと述べました。

目次

『貞観政要』巻一「貞観初論政要」より(貞観十六年)


1. 原文

貞觀十六年、太宗謂侍臣曰、
「或は君、上に乱れ、臣、下に治む。或は臣、下に乱れ、君、上に治む。二者、苟(いやしく)も逢わば、何者か甚(はなは)だしき。」
特に魏徵に対して曰く、
「君の心治まれば、則ち下の非を照らし見、
一人を誅すれば百人を勧め、誰か敢えて威を畏れず力を尽くさざらん。
若し上に昏暴あらば、忠諫これに従わず、
百里奚・伍子胥の如き賢臣ありと雖も、これを救うに足らず、敗亡またこれに続かん。」
太宗曰く、
「もし必ずしもそうであれば、斉の文宣王のような昏暴の君に、楊愔が正義を以てこれを補佐して治を得たのは何故か。」
魏徵曰く、
「愔は辛うじて暴君を補い治め、命を救うがごとくして乱を免れたが、きわめて危険で苦しかった。
人君が厳明で、臣下が法を畏れ、まっすぐな諫言が信用される場合とは、まったく同日に語れるものではない。」


2. 書き下し文

貞観十六年、太宗、侍臣に謂いて曰く、
「或いは君、上に乱れて、臣、下に治む。或いは臣、下に乱れて、君、上に治む。二者、いやしくも逢えば、いずれか甚だしきや。」
特に魏徵に問いて曰く、
「君の心治まれば、すなわち下の非を照らし見、
一人を誅すれば百人を励まし、誰か敢えてその威を畏れずして力を尽くさざらんや。
もし上に昏暴あれば、忠諫これを用いられず、
百里奚(ひゃくりけい)・伍子胥(ごししょ)の如きあれども、その禍を救わず、敗亡またこれに続かん。」
太宗曰く、
「必ずしも然らば、斉の文宣王、昏暴なりしも、楊愔(よういん)が正を以てこれを扶け、治を得たり。何ぞや。」
魏徵曰く、
「愔は僅かに暴君を補いて治を救い、命を倉皇として乱を免れしめたれども、甚だ危苦たり。
人主厳明にして、臣下法を畏れ、直言正諫、皆これを信用す。これと同日に語るべからず。」


3. 現代語訳(逐語)

  • 「或は君、上に乱れ、臣、下に治む。或は臣、下に乱れ、君、上に治む」
     → 上に立つ君主が乱れていても、臣下がよく治める場合もある。また、臣下が乱れていても、君主がしっかりしていれば国が治まることもある。
  • 「二者苟(いやしく)も逢わば、何者か甚(はなは)だしき」
     → この両者が同時に起きたとき、どちらがより深刻だろうか。
  • 「君心治まれば、則ち下の非を照らし見…」
     → 君主の心が正しければ、臣下の過失を見抜くことができる。
  • 「誅一勧百、誰敢不畏威盡力」
     → 一人を罰すれば百人が励まされ、誰もが恐れを抱いて全力を尽くすようになる。
  • 「昏暴於上、忠諫不從…」
     → 君主が愚かで暴君であるならば、忠臣の諫言も聞き入れられず、
  • 「百里奚・伍子胥之在朝、不救其禍、敗亦繼」
     → たとえ百里奚や伍子胥のような賢臣がいても、災いを防ぐことはできず、破滅が続くことになる。
  • 「齊文宣昏暴、楊愔以正道扶之…」
     → 斉の文宣王は昏暴であったが、楊愔が正道によって彼を補佐し、治世を実現した。
  • 「彌補暴主、救治倉生…」
     → (魏徵の言)楊愔は暴君をなんとか補って、災難から命がけで国家を救っただけで、
  • 「亦甚危苦」
     → 非常に危険で苦しいものであった。
  • 「不可同年而語也」
     → 君主が明君で、臣下が自由に諫言し、法を畏れる秩序ある政治とは比較にならない。

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