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明君と暗君の違い

太宗は、「明君」と「暗君」の違いについて尋ねたところ、魏徴は次のように答えました。
「明君は、多くの人々の意見を広く聞く者です。逆に、暗君は、少数の者だけを信頼し、偏った意見に耳を傾ける者です。」
彼はまた、古の聖王がどのように治国を行っていたかを引き合いに出しました。堯や舜の時代、四方の意見を広く聞き、治水や農業、人民の安寧を重視していました。その結果、どんな悪人でも彼らの正義を妨げることはできなかったのです。
それに対して、秦の二世皇帝や隋の煬帝は、信任する者を限り、周囲からの報告を断ってしまった結果、反乱を聞き逃すことになりました。
魏徴は言います、もし君主が広く意見を聞くならば、高位の者でもその声を隠すことはできません。下からの情報は必ず上に届くようになるのです。
太宗はその教えを深く受け入れました。


目次

原文とふりがな付き引用

「貞觀二年、太宗問(とうそうもん)魏徵(ぎちょう)曰(いわ)く、『何謂(なにいわん)爲(な)明君(めいくん)暗君(あんくん)』」

「徵(ちょう)曰(いわ)く、『君(きみ)の明(めい)といふは、聴(き)く也(なり)。其(その)暗(あん)といふは、信(しん)する也(なり)。『詩(し)』云(いわ)く、『先民(せんみん)有(あ)言(い)う、詢(と)ふ于(あ)芻蕘(すうじょう)』」

「昔(むかし)、堯(ぎょう)・舜(しゅん)の治(おさ)めし理(ことわり)、闢(ひら)けし四門(しもん)、明(あか)けし四目(しもく)、四聡(しそう)を明にせり。是(これ)によりて、共(きょう)・鯀(こん)之(これ)徒(ともがら)、能(あた)わざる也。言(い)い庸(よ)回(まわ)らず、惑(まど)ふこと能(あた)わず」

「秦二世(しんにせい)則(すなわ)ち隠(かく)し其(その)身(み)を、捐(す)て隔(へだ)て賤(いやし)し、而(しこう)て信(しん)すること趙高(ちょうこう)に、天下(てんか)潰(くだ)け叛(はん)すも、聞(き)かざりし」

「梁武帝(りょうぶてい)信(しん)す朱(しゅ)一(いち)、而(しか)して侯景(こうけい)兵(へい)を挙(あ)げて闕(けつ)に向(むか)い、竟(つい)に知(し)らず」

「隋煬帝(すいようてい)信(しん)す虞世基(ぐせいき)、而(しか)して諸(しょ)賊(ぞく)邑(ゆう)を攻(せ)め剽(ひょう)すも、亦(また)知(し)らず」

「是(これ)故(ゆえ)に、人君(じんくん)下(くだ)を聴(き)くれば、貴臣(きしん)不得(あた)わず、而(しか)して下(した)は必(かなら)ず上(じょう)に得(う)るなり」

「太宗(たいそう)は甚(はなは)だ善(よ)しとその言(い)を善(よ)しとす」


注釈

  • 明君(めいくん)…賢明で広い視野を持ち、多くの意見を聞く君主。
  • 暗君(あんくん)…偏った意見に耳を傾け、周囲の意見を無視する君主。
  • 芻蕘(すうじょう)…草刈り人や薪刈り人。低い立場の人々も含めて意見を広く聞くことの重要性を強調。
  • 共(きょう)・鯀(こん)…堯・舜に仕えたが、悪事を働き、彼らの聖徳に触れることなく滅んだ者たち。
  • 秦二世(しんにせい)…秦の二世皇帝。権力を趙高に集中させた結果、反乱の兆しを見逃した。
  • 梁武帝(りょうぶてい)…梁の武帝。朱を信任し、侯景の反乱に気づかなかった。
  • 隋煬帝(すいようてい)…隋の煬帝。虞世基を信任し、反乱を早期に察知できなかった。

『貞観政要』巻一「論君道」より

―「明君」と「暗君」の違いを問う太宗と魏徵の対話―


1. 原文

貞觀二年、太宗問魏徵曰:「何謂爲明君、暗君?」

徵曰:「君之所以明者、以聽也;其所以暗者、以信也。『詩』云『先民有言、詢於芻蕘』。昔堯・舜之理、闢四門、明四目、達四聰。是以無不照、故共・鯀之徒不能塞也、讒言庸回不能惑也。秦二世則隱藏其身、捐隔踈賤而獨信趙高、故天下潰叛而不得聞也。梁武帝獨信朱異、而侯景舉兵向闕、竟不得知也。隋煬帝獨信虞世基、而諸賊攻剽邑、亦不得知也。是故人君能廣聽於下、則貴臣不得壅蔽、而下情必得上達也。」

太宗甚善其言。


2. 書き下し文

貞観二年、太宗、魏徵に問いて曰く、「何をもって明君とし、何をもって暗君とするか?」

徵、曰く、「君の明なる所以(ゆえん)は、聴くにあり;その暗なる所以は、信ずるにあり。『詩』に曰く、『先民の言あり、芻蕘(すうじょう)に詢(たず)ぬ』と。昔、堯・舜の治めし時、四門を闢(ひら)き、四目を明らかにし、四聡を達せしむ。これによりて照らさざること無く、故に共・鯀の徒は塞ぐこと能わず、讒言・庸回は惑わすこと能わず。

秦の二世は、則ち身を隠し、疏賤を捐隔して、ひとえに趙高を信じ、故に天下潰(つい)え叛(そむ)けども、之を聞くことを得ず。梁の武帝は、ひとえに朱異を信じ、侯景、兵を挙げて闕(けつ)に向かえども、竟に之を知らず。隋の煬帝は、ひとえに虞世基を信じ、諸賊、邑を攻剽(こうひょう)すれども、亦た之を知らず。

この故に、人君能く下より広く聴かば、則ち貴臣も壅蔽(ようへい)すること能わず、下情も必ず上達するなり。」

太宗、甚だ其の言を善(よ)しとす。


3. 現代語訳(逐語)

  • 「君之所以明者、以聽也」
     → 君主が明君とされるのは、人々の声を広く聞くからである。
  • 「其所以暗者、以信也」
     → 暗君とされるのは、特定の側近だけを信じて他を顧みないからである。
  • 「詢於芻蕘」(しゅんおすうじょう)
     → 芻蕘(草を刈る者や木を切る者=最下層の民)にまで意見を聞いた。
  • 「闢四門、明四目、達四聰」
     → 城門を広く開き、目や耳を広くして、民の声をよく見聞きした。
  • 「共・鯀之徒不能塞也」
     → 悪臣(共・鯀)のような者でも、正しい政治の前では暗躍できなかった。
  • 「獨信趙高」→「潰叛而不得聞」
     → 一人の佞臣を信じた結果、反乱が起きても報告すら届かなかった。

4. 用語解説

用語意味
明君・暗君聡明な君主と、愚かで独善的な君主
聽(聴)広く意見を受け入れる態度。傾聴
一部の者に盲目的に依存すること
詩(詩経)古代中国の教訓詩集。政治倫理の典拠とされる
芻蕘(すうじょう)草を刈る者、木を切る者=最も下層の庶民
壅蔽(ようへい)情報の遮断・隠蔽。上に伝わらないこと

5. 全体の現代語訳(まとめ)

貞観二年、太宗が魏徵に問うた。「明君と暗君の違いとは何か?」

魏徵は答えた。「君主が明君と呼ばれるのは、広く人の意見を聞くからであり、暗君とは一部の人間だけを信じて他を顧みない者です。『詩経』にも、最も下層の者にも意見を聞けとある通り、堯・舜の治世では、門を開き、目や耳を明らかにし、民の声をあまねく知ろうとしました。だから、どんな悪人も国を惑わすことはできなかったのです。

ところが、秦の二世は趙高一人を盲信し、反乱が起きてもそれすら知らなかった。梁の武帝も、朱異だけを信じ、反乱軍が都へ迫るまで気づかなかった。隋の煬帝もまた虞世基を信じ、賊が都市を襲っても何も知らなかった。

ゆえに、君主が広く下々の意見を聴くならば、どんな有力者も情報を遮断することはできず、下の者の思いは必ず上に届くのです。」

太宗はその言葉に深く頷いた。


6. 解釈と現代的意義

この章句は、**「リーダーシップにおける情報の透明性と、多様な声に耳を傾ける姿勢の重要性」**を説いています。

明君は、信任と独占の違いを理解し、意見の多元性を大切にする。一方、暗君は特定の人物に過度に依存し、それが結果として組織や国家の崩壊を招く。

歴史に登場する失敗例(秦・梁・隋)は、まさに情報遮断による組織的盲目の象徴といえるでしょう。


7. ビジネスにおける解釈と適用

  • 「リーダーは“聞く力”をもってこそ明君たる」
     上司・経営者は、現場の声・末端の不満・違和感を聞く耳を持つことで、はじめて適切な判断ができる。
  • 「特定の側近や管理職への依存は“暗君化”の始まり」
     一部の人間の報告だけに頼れば、フィルターがかかった情報しか入らず、重大な変化や兆候を見逃す。
  • 「下の声が上に届く組織設計が企業の強さを生む」
     現場発のイノベーションや改善提案がスムーズに意思決定層に届く構造を整備することで、問題の早期発見と成長が可能になる。

8. ビジネス用の心得タイトル

「“聞く力”こそ最高の統治力──明君は多様な声に学ぶ」



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